遺されたもの

親父の遺したシンビジウムとお袋の遺したイワヒバとセッコクは今年も元気だ。

二人が居なくなって十年、親父が丹精していたシンビジウムは鉢の数こそ減らしたが、今年も元気に花を咲かせ続けている。いつの日にか再び相見えることあれば、「あなたの遺したシンビジウムは、今も咲いていますよ」と伝えたくて、冬は寒風の当たらない小屋に入れ、夏は枯れることの無いように水遣りに注意して十年、今も花守りができている。

お袋が丹精していたものは数多いけれど、なかでも玄関前のイワヒバとセッコクは大事にしていた。共に今も枯れず衰えず門先を飾っている。暖かくなってきて、枯葉から緑濃き姿に変わってきた。セッコクが白い花を咲かせるのも近いことだろう。最近とみに勢いが良いのは著莪(シャガ)である。特に増やしたわけでも、手を入れたわけでも無いのに何故だろうと考えるが、判らない。
シンビジウムもイワヒバもセッコクも(家屋敷そのものを)父母が丹精していたのを垣間見ていたから、引き継いで今も手をかけている。でも、この私の姿を誰も見ていないから、私がいなくなった後に、そんな思いを引き継ぐ者など居やしないと思えば、少し佗びしい。 

けれど、「我亡き後のことなど知ったことか、思い煩うだけ無駄なこと」と思い直し、門先の前栽に植えたい枝垂紅梅を探しに園芸店へ行けど、時季にあらずで見当たらず。

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