2001年5月 茫猿は網膜剥離で緊急入院を余儀なくされたのだが、その入院中に鄙里の池では水漏れ事故が発生し、池で飼育してた錦鯉数十匹が可哀想なことに枯死してしまった。 その後、水漏れ防止対策がはかばかしく進まずに、再び鯉を飼うことなく十年余が経ったのである。
《その時の経緯はこちら、「不思議なことに」》
その事故から十年余が過ぎ現役を引退した茫猿は、今や晴耕雨読の日々をおくり、時に暇を持て余してもいる。 そこで余暇のつれづれに本格的な水漏れ対策を始めたのである。 2011年から2012年にかけて最初に行った対策工事は予期したほどの効果を得られず、漏水も部分的にしか止めることはできなかった。 水漏れ防止工事の難しさから、再び鯉を飼うことも一度は諦めていた。 しかしながらつれづれの慰めに生き物を飼いたい望みをを捨てきれず、水辺の作業に好都合なこの冬の渇水期に、水の冷たさをガマンし腰の痛さにも耐えながら、より根本的な漏水対策工事を行ってみたのである。
池の周囲を掘り下げ、土留め及び石積みの積み直し工事は約一ヶ月で終わり、高齢者が乏しい資材と道具と衰えをみせる体力で行った作業のわりには納得のゆく出来上がりになったと自画自賛している茫猿なのである。 そこで一週間ほど前に、満々と水を湛えた池に鯉を放流したのである。 放流したのは体長15cm前後の三年もの錦鯉約50匹である。 まだ水温が低いから餌は与えていないが、暖かくなって給餌を始めれば、茫猿が池に近づく足音を感じ取って鯉が集まってくるようになるだろう。 魚とのあいだに気持ちが通じるわけもないが、それでも慣れてくれば足音で岸辺に集まってくるし、年毎に成長もしてゆく、手ずから餌を摂るようにもなるのである。 鯉の寿命は30年前後と云われているから、今回放流した鯉が茫猿の残日を楽しませてくれることであろう。
ところが、思わぬ障害が発生したのである。 以前から鄙里の川辺には青鷺がやってきていたのだが、その青鷺とおなじ鷺かどうかは判らないけれど、青鷺が池の畔にやってくるようになったのである。 朝早くに池を見まわっていると、放流した20cm強の鯉が青鷺のクチバシの的になってしまい、池の畔に横たわっているのを見つけた時は、心配していた畏れが現実のものとなったと気落ちさせられたのである。
そこで、放流した鯉のために鳥害対策を考えなければならなくなったのである。 再び水を落として、池のまわりに鳥害防止用の網を張り巡らしたのであるが、この網が細かすぎて水面下の網に鯉までもが絡めとられる始末である。 そこでネットの支柱を取り替え、網も取り替えて出来上がったのが鳥害防止ネットがこの写真である。 《今朝は青鷺の姿は見えず、鯉も粉雪舞う余寒を避けて、水中深くに潜んでいる。》
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