その後の皐月盆栽

畑の隅や小屋の隅に転がっていたもので始めたサツキ盆栽であるが、鉢代わりの古びたプランターは日々眺めていればさすがに目障りである、サツキだって枯死寸前ばかりでは先に希望が見えない。そこで鉢を幾つか買い求めてプランターから移し、盆栽仕立てにと考えていた庭の隅に植えたサツキ二本も鉢に植え替えた。一年間は養生をして、その後から徐々に仕立ててゆこうと考えている。しばらくはサツキの現状《健康状態》観察である。

ところで、松柏盆栽や盆梅を手懸けるには時間が残されていないと先に記したが、サツキ盆栽だって養生に一年あるいは二年、仕立てに一年ないし二年はどう考えても必要である。何とか見られるものになり、花を咲かせるまで、四、五年も先のことである。先のことなど判りはしない齢になって、五年先などとは笑止千万である。笑止千万ではあるものの、折々を楽しめばそれで良かろうと思っている。どちらにしたって、我がなき後のことなど考えても仕方ないことであり、今を楽しめばそれで良いのである。

とりあえずは、一年後にどうなっているか、どんな花を咲かせるかである。先ずは、この夏を一鉢も欠かすこと無く越せるかが問われている。20160530bonsai

動物を飼育するのと違い、植物の栽培や管理は手を懸けた結果が現われてくるのに時間がかかる。それでも野菜栽培や野草盆栽であれば数ヶ月有れば答えが出てくる。それに較べて花木や果樹そして皐月盆栽は、桃栗三年柿八年梅は酸い酸い十三年などと言う如く、一年や二年では結果が見えない。結果が見えた頃に手抜きを悔いても遅いのである。

若い頃に山林の評価に遭遇して、山に入り地元の年寄りから話を聞けば、誰しもが「造林・育林は息子の為ではない、孫の為だよ。」と聞かされたことを思い出す。母や叔父が病床に就く寸前まで、庭木や畑の管理に精を出していたことを思い出す。母などは「来年のことなど判りもしないけれど、荒らしておくわけにもゆかない。」と言っていたものである。

サツキ盆栽を始めて、思い出したことがある。もう二十年近くも前のことである。知人の御尊父が亡くなられ自宅で行われた葬儀に参列したことが有る。その時に庭に飾ってあった多くの見事な盆栽を見た。その後しばらくして、別の用事でお宅を訪ねたら、ガラス戸越しに見える盆栽の幾鉢かが枯れはじめていた。伺えば、相続人は盆栽に興味が無く、水遣りは奥様の仕事だと言われた。数年を待たずして庭の盆栽は消えていたのである。

今にして思えば、譲り受けるお願いをしていたらと思うのである。もちろん、総ての鉢が枯れ果てたということではなかろう、何処かへ貰われて行って、何処かの庭先で佳き姿を保っているかもしれない。その頃の茫猿にしたって、”もったいない”とは思うものの、譲り受けて盆栽人生を楽しもうと云うほどの思い入れは無かったし、陽の昇る前に家を出て星降る頃に帰宅する日々の暮らしに、水遣りを欠かさないほどの暇はなかったのである。

《2016.05.31 追記》
今朝は盆栽の魅力というか醍醐味が少しばかりわかってきた気がする。こういうことである。どんな形に整えるか、この枝は残すべきか落とすべきか、考えるがその時は実行しない。二日目も眺める、別の考えも浮かぶが何も実行しない。三日目、四日目とその鉢は特に観ない。

今朝、最後に残されたプランターを素焼き鉢に植え替えると同時に雑に行っていた根の切り詰め作業を行う。余分な太い根や網状の根を切り払いながら”サツキ”を回転させていて、はっと気づいた。この枝をここから切り落せば、この樹の最も佳い姿になる。俳優に演技を指導する監督のようでもあるが、数日寝かせた不動産鑑定評価原稿を推敲している時と同じなのである。

これなんだなと腑に落ちたのである。日々、水を遣り枯れた葉を落とし施肥をして眺めている。鋏は持っているが、すぐにははさみを入れない。或る日或る時、これだと納得した時にはさみを入れる。雑木林の枝落としは三十年行っているし、庭木の手入れをするようになってからでも七年になるから、樹木の扱いは素人ながら経験だけは積み重ねている。経験を重ねているうちに他処の庭木を観て多少は学んでもいる。独学我流自己満足には違いないが、茫猿流のものが出来つつある。これからは、料理店や寺院などに飾ってある盆栽を見る目も変わってくるだろう。”ソレデイイノダ”と腑に落ちるのである。

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