”いぶたま”と聞いてなにを連想するだろうか? 肉玉、天玉、溶き玉あるいは二子玉だろうか。白秋73旅の五日目は、指宿経由で日本最南端の駅を目指し”いぶたま”に出会うのである。”いぶたま”の他にも”らくめぐり”や楽しいタクシードライバーに出会った。
2016/12/14 am07:51 予備日にしてあった旅五日目は、鹿児島中央駅始発の快速菜の花で指宿を目指すのである。写真右上に交差して見えるのは新幹線フォームである。
指宿枕崎方面への行き止まり線だから空いているかと思ったら大間違いで、通勤通学生で混雑していた。平川までの各駅で高校生や大学生が多く乗降するのである。混雑は座席を確保していたから苦にならなかったが、膝の上に置いた釜飯の匂いには困惑した。
この釜飯にはいわくがある。中央駅在来線構内では駅弁が見当たらないのである。コンビニ弁当しか入手できない。ふと新幹線構内を見れば駅弁売店がある。そこで新幹線入場券を購入して新幹線構内に入り、十種類以上の弁当のなかから黒豚釜飯を選んだのである。駅弁が在来線では入手困難なことも、在来線と新幹線の待遇格差の現れなのである。《この件は次号に詳しく述べる。》
そこまでは佳かったが、店員の「暖めますか?」の問いかけに諾と応じたのが間違いだった。混雑する車内で釜飯を開く訳にもゆかず、膝の上に置いていたのだが、これが暖めたせいで匂いを放つのである。周囲の乗客たちは、老齢観光客のことと我慢してくれたのだろうが、申し訳ないことだった。
学生たちが谷山駅や平川駅で大挙降りてしまうと、車内は残る数名の乗客で閑散となり、ベンチシートではあるが余裕をもって釜飯を開くことができた。快速なのはなは09:06に指宿の次、終着山川駅に到着する。
写真には「日本最南端の有人駅」とあるが、実は最近に無人駅となっている。山川駅から二駅先が最南端西大山駅である。西大山駅へは11:46まで列車がない。さてどうして二時間半をつぶすかと思案していると、駅前広場にタクシーが駐車している。タクシーに西大山駅まで幾らですかと尋ねると2,500円程度と答えるので、それならとタクシーに乗り込むのである。
乗り込んでしばらく走った頃、ドライバーがどちらからと尋ねるから岐阜からと答える。「お客さんは鹿児島泊まりですか、宿泊証明書を持っていますか?」と再度の尋ねである。そんなものは持っていないから、なぜと聞くと「領収書でもいいですよ、何かありませんか?」と尋ねるのである。よくよく伺えば「かごしまらくめぐり」というキャンペーンを実施中で、ホテル領収書さえあれば三千円で西大山駅他を案内すると云う。
平成28年11月1日〜平成29年1月31日までの利用が対象になる。鹿児島県内の宿泊施設に1泊して領収書等をもらい、タクシー利用中に『指定らくめぐり施設』2カ所を巡り「かごしまらくめぐり利用証明書」にスタンプをもらえば、タクシー利用料金を最大5,000円割引するという、なんとも気前の良いキャンペーンである。
三千円以上は頂きませんからと云う、彼の申出を受けて、連泊だからと財布に偶々しまってあった領収書を提示して、「らくめぐり」の開始である。先ずは旅の目的地「日本最南端の駅:西大山駅」である。iNetに掲載されている写真と寸分違わない構図で撮影してみた。菜の花も一部ではあるがもう咲いている。正面は開聞岳である。
写真の標識柱にはJRと断ってある。鉄道の範疇に含むべきか否かは議論があるだろうが、広く日本最南端の駅といえば、沖縄のゆいレール・赤嶺駅がそれである。赤嶺駅には2013年12月に訪れた。同時に最西端の那覇空港駅にも訪れている。
※南ぬ島石垣 2013年12月3日
帰宅してから、手もとに僅かに残されている祖父母と孫たちの旅行写真を探したら、彼等四人が1992/03/31付けで開聞山麓自然公園という立柱を背にして写っている写真がでてきた。枕崎駅の駅名表示板を背にする息子の写真も有ったから、24年前には今の私と同年代だった父母と当時既に鉄道マニアだった息子たちも、西大山駅を訪れていたのだろうか。
西大山駅を訪れ、近くの物販店・久太郎でスタンプ打刻も済ませたから、山川駅へ戻って下さいと伝えると、ドライバーは是非とも長崎鼻へ案内すると云う。西大山駅よりもずっと絶景ポイントだから見て下さいと言うのである。東シナ海の波越しに眺める開聞岳も一幅の絵であった。寒くはないけれど、ただ風が強い。冠っていた帽子が吹き飛ぶ風だった。写真の浜は外海であり、遊泳禁止になっているそうである。
同じ場所から180度目を転じると、波静かな内海・鹿児島湾である。画面右の山影は大隅半島で、桜島は左手の山にさえぎられて見えない。長崎鼻には後に述べる”いぶたま”の由来となる朱塗りの竜宮神社が鎮座していた。
指宿駅まで送ると云う彼をさえぎって山川駅へと云えば、もう一カ所道の駅へ案内すると云う。《後ほど考えれば、彼はもう一カ所のスタンプが、らくめぐり利用証明書に必要だったのである。》そこで、道の駅に案内されると時刻は既に昼近くである。
昼飯を誘えば彼は固辞する。そこで、当然オゴリマス、それに一人で食べても旨くないからと、道の駅向い側のちょい気になる「漁師めし・むげん」に誘うのである。食事は可も不可もなしだけど、ドライバー氏が座を盛り上げてくれるから、ビールも楽しく頂けた。すてきな出会いができたドライバー氏はお名前を「阿間見」さんと云う。薩摩半島南端で奄美さんに出会えるのも奇遇である。《※山川駅で下車した際のタクシーメーターは、8,000円ちかくになっていたと記憶する。》
食事を終えた茫猿が山川駅に戻ると、フォームには「いぶたま」が待っていた。特急「指宿の玉手箱号」が”いぶたま”の正体である。長崎鼻に竜宮神社が鎮座するように、この地には浦島伝説があり、そこから玉手箱という列車名が浮かんだようである。
玉手箱を表現して、鹿児島中央駅に到着すると上掲写真のように煙《蒸気》を吹き出すのである。車内はこれも水戸岡鋭治デザインである。女性アテンダントも添乗している。
再度、鹿児島中央駅の新幹線構内に入り、九州新幹線・鹿児島ターミナルを撮影する。函館から青函トンネル、東京駅、関門海峡を経てきた列島縦断の新幹線はここで終着である。新幹線と在来線がT字型に交差するのは、たぶん鹿児島中央駅だけであろう。
このあと、夕刻まで市内をブラブラするのである。晴れ上がった空の下で桜島を眺めたり、市内の幾つかの維新関連モニュメントを訪ねたりするのである。市電には乗らず、鹿児島中央駅から鹿児島駅まで18切符最後の乗車をし、今度は鹿児島駅から城山や天文館などをジグザグに歩いて、市内を走る市電を眺めながら鹿児島中央駅西口付近の宿へ戻るのである。
宿付近でいただいたこの旅最後の食事は、「ひとり黒豚しゃぶしゃぶ」である。〆のうどんまで完食できて納得するお味だった。市内の維新モニュメントや桜島の写真は前号記事に掲載済みである。翌日・最終日は朝08:30に鹿児島中央駅前のバスターミナルからシャトルバスで鹿児島空港へ向い、LCC便で常滑空港へ一路帰るだけである。
※前号記事 白秋73旅-8・かごでん 2016年12月18日
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