十年という歳月

両親が逝ってから今年は十年である。庭の鄙桜もあれから十年という歳月を過ごした。今朝は快晴であるが少し肌寒い、花冷えの朝陽に桜が映えている。

この桜をこの位置から眺めていると、いつも母のことを思い出す。

2010.04.08 09:30 (快晴、無風 朝の冷気が心地良い)
昨日の夕方に、「今日は朝からどうしてこんなに暗いのだ?」と尋ねた。時刻は19時過ぎ、暗いのは当たり前なのに、どうやら時計の7時を朝7時と間違えたらしい。同じ話の繰り返しがとても多い。それも15分ごとに同じ話を繰り返している。 それに車イスへ乗り込むことを怖がるようになり、私の腕をしっかりと掴むようになった。抱きかかえて乗せるよりは少しでも自分の足で歩かせるようにしているのだが、よろめくから目が離せない。

点滴を終わっての帰り道、家の門さきにきて離れの前の山桜をみる。「きれいに咲いたねー、真っ白に咲いたねー。」と、満開の咲き誇る桜を、車イスを止めてしばし眺める。《母の旅支度と名付けた当時の日記より抜粋引用》

この時の桜はこんなである。今よりは一回り小さい。「晴耕雨鑑の日々: 2010年4月10日」より今朝の鄙桜。
しばし桜を眺めながら、あの当時 母はどんな心地でこの花を眺めていたのだろうと思いにふける。毎年桜が咲くたびに車イスから眺めていた母の姿を思い出すが、息子に押される車イスから眺める桜とはどんなものだろうかと考える。

あれから十年、母と私の年齢差は24年だから、もうすぐ年齢差の半分が埋まることとなる。そして、母の年に近づくにつれて、息子に介護される親の気持ちというものを少しづつ理解できてくるような気もする。

ただたんに高齢になったというだけでなく、ガンのファイナルステージの告知を受け、わずか数百メートルを車イスに乗って点滴に通う道すがら眺める桜である。口に出すことは無かったけれど、来年もまたこの桜を見ることができようとは思っていなかっただろうし、思えなかっただろう。

そんな母の心根、「私はもうイイけれど、残るオトーさんが」などと口癖のように語っていた病床の日々。毎年 この桜を眺めるたびに思い出す母の心根が、なぜか今年は一入(ヒトシオ)なのである。たぶん母の年(没年)に近づいてゆく一年ごとに、その母の心根と我が想いはかさなってゆくのだろう。

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