この号は「鄙からの発信」創設以来2,990号である。3,000号まで残り10号となり、カウントダウンを始めようと思う。特別の記念記事が書けるというものではないけれど、カウントダウンを意識しつつ日々の記事を掲載してゆこうと云うのである。つまり田翁の手遊びである。
1999/02のサイト創設以来20年近く、月毎年毎に記事数の多少はあるけれど平均すれば毎年150本前後を書き散らしてきた結果が、塵も積もれば山となったワケである。1000号に達したのが2007/01でありこの間8年、2000号に達したのは2011/02でこの間4年だった。そして、2500号に至ったのは2013/03/24のことである。 発行記事数を誇っても詮無きことであり、記事に見るべきものがなければ、ただの垂れ流しである。そして記事に見るべきものがあり得たのか否かは、茫猿が云々することではなく読者が評することである。
※1000号記事 口上・立春大吉 2007年1月26日
※2000号記事 立候補御挨拶(記事No.2000) 2011年2月11日
※2500号記事 REA-MAP 3rd 開示を終えて 2013年3月26日
※2900号記事 加賀棒茶から越前蕎麦 2017年9月13日
不動産鑑定と取引情報に関わって半世紀、取引情報と地理情報を話題にするようになってからでも二十年は経過している。そこで思うことがある。情報閉鎖はNoであり、法的な守秘義務情報は別として情報は公開を原則とすべきである。
不動産取引情報というものは抱えれば抱え込むほどに閉鎖的になる。結果、周りが見えなくなる。取引情報は公開し共有すべきものであり、公開するほどに新しい情報が入ってくる。これは秘密だという情報にロクなものはない。取引情報は鮮度が命である。時間の経過とともに情報は陳腐化しコモデイテー化してゆく。情報の管理に汲々とするのは馬鹿げている。ルールを明確にして公開すべきである。
この記事初稿は三月下旬だったか四月上旬だったか、自らの来し方行く末にも思いを遣り、取引情報を切り口にして地価公示や不動産鑑定評価にもふれてみたいと考えていた。ところがその後に入院騒ぎを起こしたことで、状況は一変した。浮き世の義理などは欠くに如かず、見栄を張ることなく恥もかこうと考えている。「鄙からの発信」なども今やどうでもよいことに思える。
恥をかくことを怖れない。 義理を欠くことを悔やまない。 見栄を欠くことを日常とする。 だから「三カク」なのである。 知らないことは出会った若者に素直に教えを乞う、義理という俗事へのこだわりを捨てる、無駄な見栄(虚飾)をはぶいて簡素に生きる、それが三カクである。
1999/02から数えて見れば足かけ20年、当時55歳だった茫猿も今や数え75歳になった。3000号といえば大きな区切りではあるが、其処に到達できてもできなくても”世は事も無し”なのである。「鄙からの発信」にしてからが、当初の目標も目的も今や何処にも見当たらず、”旬”は遠く過ぎ去り、田翁孤り終わりなき繰り言を連ねるのみである。
病を得た身体であればこそ「如何に生きるかが大切」などと他者は言う。茫猿にしてみれば「今や如何に死ぬるか」なのであり、善く死ぬためにこそ今ありと思えるのである。何れにしてもこんな薄暗い繰り言の羅列など、世に問うまでのことも無かろう。冒頭には3000号までのカウントダウンと記したけれど、それもどうでもよいことである。次号記事を掲載できればその時までは生きていたという存在証明にしかすぎない。
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