変わるべきものと、変わってはならぬもの

 内橋克人氏著「同時代への発言」全8巻(岩波書店刊)をお薦めします。君に薦められなくとも、既に読了していると仰る方は、この項は飛ばして下さい。
 内橋氏の凄いのは、10年前の発表原稿はおろか、20年前の連載原稿を今回全8巻にまとめられたことです。勿論、99年に入って書き下ろされた原稿もございますが。とにかく10年、15年前に書かれた原稿が今でも輝きを失っていないとは、凄いじゃないですか。小説や文芸評論なら兎も角、経済学原論なら兎も角、折々の経済評論が、バブル期を越えて、バブル崩壊期を経て輝きを失っていないとは、希有のことに思います。
 その時々の時流に乗っかって、煽動まがいの言論をまき散らす経済評論家が多い中で、10年を経ても色褪せない原稿を発表してこられた、氏の評論活動には敬意を通り越して、感動します。


 私の評価が胡散臭いとお思いの方は、第一巻「日本改革論の虚実」或いは第二巻「消尽の世紀の涯に」をお読み下さい。一冊2,000円です。氏の論調は、市民の立場にあり生活者の立場にあります。なかには違和感を感じる方もお見えになるでしょう。しかし、一時、老人や家庭の主婦にまで財テクを勧め、今又、外貨建預金を勧めているような時流経済評論家とは、一線を画するものと考えます。グローバルスタンダードでなければ時流に取り残されると、囃し立てる胡散臭さを感じておられる方にはお薦めです。そうです。デイファクトスタンダードはありますが、グローバルスタンダードなどというものは存在しないにも関わらず、いかにも在るように囃し立てる胡散臭さに惑わされないようにしましょう。
 そうです。猫も杓子もデユーデリといい。収益還元法なかんずくDCFでなければ鑑定評価にあらずと囃し立てる胡散臭さに惑わされないようにしましょう。揺れすぎる振り子は、結局は社会の信頼を勝ち得ることはないと考えます。比準価格偏重を反省するのはよしとしても、だからといって収益価格偏重にブレ過ぎるのは、どこか変ではないですか。
 社会全般が強気の時は、収益価格により多くの意味があり、社会が弱気の時は比準価格に意味があり、時として比準価格を上回る収益価格が成立すればその開差の意味するところを、正しく説明することに我々の役割があるのではないでしょうか。

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