全国遊説を終えるに際して

 十日ぶりに帰った我が陋屋も春はすでに遠く初夏の趣でした。濃尾平野にのぼる朝陽も随分と東北寄りになりました。ヒラドツツジやボタンが咲き誇り、池の鯉の餌喰いも大層活発になっていました。何よりも常に緑である楠や椿などの常葉木も古い葉を落として黄緑の新芽をふいています。いつも変わらぬように見えるものも、水面下や細部では気付かぬうちに何時しか変わっているものです。


 鑑定協会の役員構成も年々歳々同じからず。いつしか代わってゆくものだと思います。余人をもっては代え難いと称された「政界の大勲位」や「某企業の中興の祖」も、永年その地位にとどまることにより、いつしかその存在自体が弊害となり、若手の台頭を遮ったり企業の衰退を招いたりしているのは衆知のことです。
 勿論、個人差がありますから多選が直ちに弊害などと申し上げるつもりはございません。しかし、鑑定協会役員の連続多選は後継者の育成を阻害します。再選或いは三選されたら、一期や二期は休んで後継者を育成することはできないのでしょうか。それとも、それ程に我々の業界は人材不足なのでしょうか。
 何よりも、公益法人の役員は原則無給のボランテイアです。自分の本来業務をこなしながら、協会役員業務に全力投球すれば、一期二年も長いと感じるのが普通ではないですか。又、いかに優秀かつ有能な方でも永年を経れば、豊富なアイデアも枯渇し指導力にも翳りが見えるのではないでしょうか。暫く休んで充電の後に、また再び鑑定協会のために働いて頂く方がよりベターなのではと思うのです。
 遊説先の各地で、「単位会の役員のなり手がいないので、再選就任せざるを得ない」と伺いました。「鑑定協会の役員などはヒマとカネの豊富な方々に任せておけばよい。我々は自分の鑑定業務に専念する。」と考えておられるのなら、それは余りにも無責任であり無自覚であり、専門職業家にあるまじき態度だと思います。同時にえてして、そういう方ほど協会のあり方に見当違いの文句を付けるものです。
 私は、東京に在住しなくても、多くの従業員を抱えていなくても、会長職が務まることを実証したいと考えています。同時に私が会長に当選した場合の、最大の仕事は皆様に公約した事業を実行することでありますが、それと同じほど重要な任務は二年の任期中に私の次の会長を発掘することだと考えています。全国遊説の間に、私などより余程、会長に相応しい方々にお会いしました。現状変革に積極的な彼等、多くの同憂の士と共に「鑑定協会のパラダイムを変えてゆこう」と考えています。

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