来るであろう歳、そして往った歳

 2005年・平成17年は稀に見る酷い歳であったとおもう。
振り返ってみるまでもなく、JR西日本の福知山線事故、三菱自動車の欠陥隠し、三菱地所の土壌汚染隠し、西武コクドの株式保有疑惑、ライブドアや村上ファンドの裏技的株式取得、極めつけは官と民の無責任さを露呈した耐震欠陥マンション事件である。日本を代表する名だたる企業が引き起こした事故・事件の数々を思うと、戦後六十年の制度疲労が今や極まったのではと思う。
 それらを単に収益優先体質、拝金主義と両断するのは簡単であるが、個々の企業に特有の問題ではなく、我々の全てが己自身に指摘されなければならない問題なのだと思う。


 他にも、みずほ證券のジェイコム株の誤発注事件もあった。この事件で最初に責められるのは誤発注したみずほ證券であるが、その注文取り消しができないシステムを提供した東証も同罪と云えよう。何より糾弾されなければならないのは、明らかに誤発注と知りながらそのエラーにつけ込んで暴利を得ようとしたブローカー群(内外の証券各社)である。デーイトレーダーなどと云われる個人がどのような浮利を得ようとそれは好かろう、浮利の向こう側には損害もあることだから。でもプロのブローカーにはプロの仁義とか矜持というものがあるべきではなかろうかと思うのである。
『何より東証会員のプロ同士の話ではないのかと思うし、ベニスの商人を思い出すのである。』
 幾つかの事件事故に共通していると思うのは、プロのプライド、誇り、矜持といったものが何処にもみられないのが哀しいことである。ここでプロというのは、何も資格職業か否かだけを云うのではなく、報酬を得て役務を提供するという意味でのプロである。
 経済面での不祥事は大人社会の破断現象を示すものであろうし、大人社会が大人社会として機能しなくなったことを表すものであろうと思う。そしてこの経済事象面の未成熟さというか退嬰化現象が社会に反映しているだろうと思わせるのが、大人になれない成年者の増加ではなかろうか。
 中高校生の凶悪犯罪が多発したし、成年者の理解できないほど未熟で幼稚な動機による犯罪も多かった。ニート、フリーター、下流社会そして超少子化社会と人口減少社会の到来、それらを振り返ると譬えようもなく酷い歳であったと思えるのである。今にして思えば「サカキバラ事件」は特異な事件ではなく、今に至るを指し示す予兆にしか過ぎなかった。あれからほぼ十年、あの年代の児童達が成人して今やニートに下流滞留に変貌しているのである。
 それでも否応なく2006年はやって来るのである。もう十数時間後には平成18年である。
来年のキーワードは何であろうかと考えたときに、それは「やせ我慢」ではなかろうかと思う。
やたらに他者と同じであることを求めず、我は我であり、浮利を追わず名利を追わず、今一度「フェアトレード」、「スローライフ」、「もったいない」といった生活のあり方に思いを寄せ、品格というもの品の良さというものを人生の指標の中央に置いてみる。そんな来年なればと思うのである。何よりも茫猿自身が少しでも近づきたいと思うのである。
 歳末の読書
・保坂正康著「特攻と日本人」:講談社現代新書
・藤原正彦著「国家の品格」:新潮新書
・保坂正康著「あの戦争から何を学ぶのか」:講談社文庫
・浅田次郎編「見上げれば星は天に満ちて」:文春文庫
・宮部みゆき他「七つの怖い扉」:新潮文庫
・石田衣良著「うつくしい子ども」:文春文庫
往く歳来る歳の座右に極めつけです ・柳澤桂子著「生きて死ぬ智慧」:小学館

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