青ヶ島では「おもうわよ」

 六時過ぎて人気(ヒトケ)の無い事務所で、YouTubeを見るそして聞く。
これもiNet時代の恩寵というか、情報代価低廉化の恩恵と云おうか。
 (執務中は音量にご注意)


  愛する人の死に歌を封印した:ちあきなおみ  喝采
  タンスにゴンも懐かしい:ちあきなおみ 黄昏のビギン
  今や伝説の歌手:ちあきなおみ さだめ川

 『さだめ川、酒場川、そして 夜へ急ぐ人、
  「おいで おいで おいでをする人 あんた誰」 
    灯りを落とした部屋で、じっくりと聞きたい。』

  アンニュイという形容詞がよく似合う:ちあきなおみ かもめの街  冬隣
  今も復帰が望まれる:ちあきなおみ  AKAI HANA / Naomi Chiaki
 でもどの歌もどの詩も「亡き郷鍈治」との想い出につながって、涙なしにはとてもとても唄えないのだろう。そんな背景を知らなくとも、この歌を淡々と唄う「ちあきなおみ」の歌唱力と演技力の前に言葉は要らない。
   「ちあきなおみ  ねえ、あんた

  コミカルで 何かもの悲しい歌詞と、 
   そして独り芝居を思わせる ちあきなおみの表情、
 「 やっぱり あたしは 泥河暮らし
   あんたを待ってちゃ いけない女
    ねぇあんた  ねぇぇ  あんた  」

  この歌も凄い。凄いとしか云いようがない。
  ”The House of The Rising Sun
 ※いずれも権利者により削除されるまでの期間限定です。
 話変わって
 今日(07.09.20)の「きっこのブログ」はとても佳い。
近来稀に見る秀逸である。「きっこのブログ『おもうわよ』」
※青ヶ島の別れのアイサツ 「おもうわよ」について

 「おもうわよ」とは、青ヶ島の別れの言葉です。青ヶ島方言(文法的には万葉集東歌方言とほとんど同じ)でサヨウナラの義です。
もちろん、オモウは「思う・想う」を意味し、語源的には、ある特定の人のオモ(面・貌・顔)を、オモ(重)たく想い浮かべることから生じました。別れのとき、愛しい人のことを、懐かしい人のことを、強くオモウから「おもうわよ」なのです。
  菅田正昭「でいらほん通信」より

※04/03/18参議院総務委員会での麻生総務相の発言。

 「御存じのように、東京でいえば八丈島の南七十キロぐらい行ったところに、青ヶ島というところにたしか人口二百人切ったぐらいの今一番小さな村がありますが、そこに人が住んでいる。その住んでいることによって極めて財源としては大きな負担に国としてはなっているとは思います。」

 青ヶ島は伊豆七島の南端に位置する絶海の孤島である。孤島ではあるが有人島である。本州から遠く離れた孤島であるが故に万葉集東歌方言に連なる青ヶ島方言が今も残るのであり、「オモウワヨ」という美しい表現が残るのである。この方言は日本文化であり、この青ヶ島文化を支持し支援するのが日本国の務めであり、支持すること自体が日本文化であると思うのである。
 なのに、市町村合併推進当時の麻生総務相は「国としては大きな負担」というのである。 
 誤解の無いように付け加えておくが、私は麻生氏も福田氏も支持していない。今の自民党は選挙管理内閣を組閣すべきと考えている。小泉劇場遺産頼りに民意を経ることなく、二度も三度も内閣を組閣しようと云うさもしい人達を支持する云われなど何もない。だから安倍氏の総裁就任にも続投にも責任のあるマンガ&アキバ麻生氏も、一年前は高齢と云って見送りながら今回は「総理総裁への機会到来」とほくそ笑むシニカル福田氏も認められないのである。
 自らが選挙管理内閣を組閣できなければ下野して、民主党に選挙管理内閣組閣を任せるべきである。国政に遅滞は許されないなどという、今や理屈にならない理屈で総裁選挙祭りを延々と行う意味も名分も無いのである。

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