糠味噌の楽しみ

 このところ糠味噌漬に嵌っているのである。男子厨房に入るべからずと言ったのは昔のこと、今や九十歳を超える我が親父殿でも冷蔵庫の扉を開け閉めし、電子レンジでチンする時代なのである。


「糠味噌事始め」
 茫猿は学生時代のアルバイト修行の成果もあるのだが、厨房に親しんで久しいのである。いつぞやは常備菜について記事にしたし、最近こそ催していないが我が陋屋に十人もの客を迎えて野外宴を行うこともある。この頃は糠味噌漬に嵌っているのである。糠味噌臭いなどと女性でも嫌う人が多いが、納豆やチーズを引き合いに出すまでもなく、発酵食品は臭いのが特徴であり臭さに命があるのである。
 糠味噌の詳しい科学組成は知らないが、乳酸系発酵食品であることは間違いないところである。ことの起こりは家人の糠味噌漬けに不満を漏らしたことから始まったのである。「それなら、自分で為さい。」と引導を渡されて始めたのが今年の春先であった。以後、三日と空けずに糠味噌をかき回している。糠と食塩以外に鷹の爪やら出汁昆布なども加えて、今やそれなりの風格漂う糠味噌に出来上がっている。いわば、茫猿秘蔵秘伝の漬糠というわけである。
「樽と塩にこだわる」
 この頃はスーパーに行けば、調合糠が販売されているから、糠の仕込みに迷うことはない。迷うことはないが、そのまま漬け込むのであれば芸がないと云うものである。男の厨房としては、糠はともかくとして塩にはこだわりたいのである。各地名産の天然塩にこだわると、塩が含むミネラル分のせいだろうか、心なしか漬け物の出来が違うように思えるのである。あとは折々に到来物の銘酒を振り掛けてやるだけで、糠は熟成してゆくのである。
 さらには漬け物樽にもこだわりたい。スーパーなどに売られているプラスチック製の樽は頂けない。木製の樽が望ましいのであろうが、扱いにくいから茫猿は琺瑯性の四角い漬け物樽を利用している。掃除が楽だし、雑菌の繁殖も防ぐような感じがする。難点は重いことであるが、旨い漬け物を食するためには何のこれしきという訳である。
「保管は冷蔵庫野菜室」
 秋から春先にかけては室内の冷暗所においておけばカビが生えてくることはないが、夏場は室内では管理がとても大変である。出張が続けば三日も蓋を空けないこともあるから、冷蔵庫の野菜室に保管しておけば黴知らずなのである。もちろんのこと、野菜室を大きく陣取るから家人には大変不評であるが、そこはそれ強引に押し通している。この野菜室からの出し入れが重くて大変だから、誰も手を出さないことに救われてもいるのでもある。
「肝心の漬け込み野菜」
 さて、肝心の漬け込み野菜であるが、陋屋の畑から収穫する茄子、胡瓜、大根、人参が主なものである。いずれもありふれた素材であるが、ただ漬ければ良いというものでもない。先ずは素材選びからである。茄子も胡瓜も大根もいずれも小振りなものほど好ましいのである。親指の先くらいの太さに育った大根などは葉ごと漬ければ絶品である。晩酌の肴はもう何も要らなくなるのである。少し大きめというか通常の大きさの野菜を漬け込む時は、食べる頃を逆算して刻む大きさを分けたり、隠し包丁を入れたり、軽く塩もみをしてから漬け込むなど、何気ないようで細かな気遣いをすれば翌日から数日後には、みごとな漬け物が完成するのである。
「以外と大事なこと」
 冷蔵庫に保管するから、毎日々々かき回す必要はない。二、三日放っておいても大事ないのである。もし、食べ頃を過ぎて漬かり過ぎた野菜があれば、スダチを搾ったりオロシ生姜をまぶせば、これはこれで優れた一品に変じるのである。茄子は色変わりが早いからミョウバンを使うことを指南書などは薦めているが、茫猿はミョウバンといえども添加物は排除する主義だから、使わない。代わりに「南部風鈴」を漬けている。溶け出すのであろう南部鉄が茄子の変色を防いで、色鮮やかな茄子紺色に仕上げてくれるのである。
 おかげで、この夏の我が家は風鈴の音が聞こえなくなっているが、錆びた古風鈴も二度のお務めに役立っているのだから、もって瞑すべしということだろうか。糠味噌漬けなど何処でも誰でもできることではないかもしれない。迂闊に男が手を出せば家人のヒンシュクを買うだけかもしれない。それでも齢六十を過ぎた男達は、己の食生活を豊かにするために、自ら動くべきである。糠だって最初から臭いわけではないし、発酵を加えて色が飴色に変わりゆく過程を楽しめば、臭味も風味に転じるのである。糠の味見もしながら、自分好みというか俺流の糠が出来上がってゆく過程を楽しめば、また一つ男の色彩が増すというものである。様々な食材を、時に浅く、時に深く漬け込んでみるのも男子厨房ならではの楽しみである。今年はもう無理だが、来年はヒョウタンやミョウガなどにも挑戦してみたいと今から栽培計画を立てているのである。

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