日野駅で下車したのは、日野町は近江日野商人発祥の地として古い街並みが残っていると観光案内パンフにあったからだが、予備知識が不足していたのか、調査不足のせいなのか空きっ腹を抱えてウロウロしただけの二時間ほどだった。
パンフレットにあった「近江日野商人館」である。日野商人館は近江を出て成功した人が在所に本宅を建てたものの一つであり、いわば故郷に錦を飾ったという類の建物である。建物自体は1938年建築であるから、さほど古くはないが、国家総動員法施行の年であり十分きな臭くなっていたにもかかわらず、目の保養に足りるぜいを尽くした建物である。
良き目利き(鑑定士)になる近道は、先ず多くの品(建物)を見ること、次いで佳い建物を数多く見ることだと云われる。茫猿もそう習ったし、自分でもそう教えてきた。この日野商人館は築後70年ほどの建物だから、使用資材、施工の質、意匠の確かさのどれをとっても、目利き養成教材にはとてもふさわしい建物である。
天井が屋久杉使用の竿縁天井、床板がケヤキの一枚板、廊下が松板張り、廊下側の梁が北山磨き丸太という、使用されている材の一つ一つがとても贅沢な奥座敷である。障子の桟も面取りが施されているという凝りようである。西側を除く三方に造られた回し廊下も、夏冬の断熱に効果が高い。家は夏を旨とすべしといったのは兼好法師だったか、日本家屋建築の要諦は南北朝の昔から変わらないのである。
日野のマンホールは近江商人をモチーフにしています。
日野は戦国武将「蒲生氏郷」の出身地です。町中の公園に氏郷の銅像が有りました。氏郷像は武人として会津若松の礎を築いただけでなく、文武両道に長けた武将として信長に愛された氏郷を偲んで、歌を詠む姿を写していると云われます。歌帖と筆を持つ氏郷の姿に百日紅の花が似合っていました。 歴史にタラ・レバは無いのだが、羽柴秀長と蒲生氏郷がもう少し長命だったらとは、多くの歴史小説家が小説のテーマとするところである。
近江鉄道日野駅から日野町中心部に向かう街道筋は、ひとけはなく車もまばらな、まさに堂守にはふさわしい鄙びた町の昼下がりでした。陽射しはまだまだ厳しいのだが、抜けてゆく風が心地よいし、車が少ないからのんびり歩くには格好の街並みと言ったら、地の人には叱られるだろうけれど。
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