竹中平蔵氏の矛盾

 標題エントリーの骨組みだけを未公開原稿として用意し、Webウオッチングしていたら、「世に倦む日々」では鋭い竹中批判と、竹中論法を打破できない「金子、山口、斎藤」三氏についても手厳しい批判が展開されていた。 竹中平蔵氏の矛盾についてマスコミで指摘されることは少ないから、新自由主義・改革論者として意識はされていても、その何処に問題点が存在するのかは理解されていないのが通弊なのである。


 振り返るまでもなく、竹中平蔵氏は小泉改革の中枢にいた方である。現在の派遣切り問題に一番の責任があるのは小泉元総理と竹中平蔵氏である。 そう指摘すれば、彼等はこう嘯くであろう。「改革が中途半端だから、現在の事態を招いたのである。改革の飽くなき実行が必要だ。また改革の方針に誤りはないが、サブプライム問題に端を発する金融危機が現今の諸問題の根底にある。」
 でも、金融資本主義を目指して、郵政民営化を行ったのは小泉・竹中ラインであることは紛れもない歴史的事実である。そして金融資本主義の獰猛さや欺瞞性に目をつぶって、金融市場の破綻手をこまねいていたのも小泉・竹中・安部・福田・麻生ラインなのである。
 新自由主義改革派は何を言ってきたか、何を為してきたかを検証されなければならない。彼等は「労働の多様化、働き方の多様化、自由化」を主張してきた。労働市場の自由化は労働者が求めるものでもあると言ってきた。 八代尚宏氏は01/01のNスぺでも同じ主張を繰り返していた。
 しかし、考えてみるまでもないことだが、労働市場の自由化や規制緩和を云うのであれば、先ずその前提条件として「同一労働・同一賃金」の原則が確立されていなければならない。正規雇用で働こうが非正規雇用(嫌な言葉だが)で働こうが、同じ労働であれば、賃金はもちろん社会保険も福利厚生も同じ条件でなければならない。解雇条件に関しても同様である。期間限定のオプションが雇用者側にあるか否かだけの差でなければならない。
 しかし、この前提条件にも大きな落とし穴が存在するのである。労働市場に優位性を持つ労働者は規制を緩和してもしなくても、既に自由に労働市場に対処しているのである。ヘッドハンティングなどによるキャリアアップがそのよい例であろう。 だが多くの労働者は雇用市場に対して比較劣位性しか有していないのである。 熟練工といえども他に転用がきく高度な技能や汎用的技術水準を有しているわけではない。 一企業内の一工程における熟練度でしかないのである。 そのような多くの労働者にとって労働市場の規制緩和は、切り捨てご免的な一方的地位低下につながるものであり、現在の切り捨てや放り出しに法的正当性を与えただけのことである。
 正規雇用と非正規雇用の格差拡大、非正規雇用者の嘆きの上に成り立つ正規雇用の安定、既得権益擁護論の多くを放置したまま規制緩和のみを行ったこと、そのような規制改革の継続は矛盾を放置したままのいわばブレーキのない暴走自動車状態をもたらしたのである。 正規雇用者にとっても、このような改革は「明日は我が身である」ということに気づかなければならない。 今さえよければとか、自分さえよければと云う小市民主義は既に破綻していると気づかなければならないのである。
 
 そもそも改革とは何であるのか、何を目的としたのかが問い直されなければならない。「現実を見ろ、犯人探しをするな。」といったすり替え論理に惑わされてはならないのである。 臭いニオイは元を絶たなければ無くならないのである。 金融資本主義という資本利益の極大化を目指し、そして破綻した論理にいつまでも跪いていてはならないのである。
 「(資本や経営者にとって都合のよい)改革を継続しなければ、グローバル・コンペに勝てない。」とか、「隣国が攻めてきたら逃げまどうのか。」といったデマゴーグに惑わされてはならないのである。低金利を持続させ、円安を持続させた輸出至上主義が何をもたらしたのか、労働市場の破壊による安値輸出を助長しただけではないのか。今こそ問い直されなければならないのである。
 改革は否定しない、しかし改革の目標も目的も国民福祉でなければならないのである。 市民の幸せを置き去りにする改革などは改革の名に値しないのである。日本市民は憲法の前文や25条を今一度、読み返すべきである。 この種の主張をすると、理想論とか情緒的といった批判がおきるものである、現実を見ろとか世界との競争に勝つためにはといった主張である。でも、理想を忘れ置き去りにしたリアリストほど始末に悪いものはない。 一部のステークホルダー、多くは声の大きい株主や経営者に偏った方向を目指しがちであるし、企業の時には国内の内部経済・外部不経済的方向を選択しがちとなる。

『憲法前文』
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

第二十五条
 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

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竹中平蔵氏の矛盾 への1件のフィードバック

  1. 人の生き方来し方 のコメント:

    【2009年頭所感】生活崩壊に立ち向かう日本社会をつくれ

    ◆おことわり・・・大変な長文ですので、時間のある時にお読み下さい◆
    失業者見捨てた政府・与党
    2008年12月30日は、都市部を中心とした…

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