ⅳ仕える者となって

冊子・止揚第105号「負けいくさにかける(89)福井達雨著」より転載 《その4》
《重い知能障害をもつ人たちの中で》(2008/12/25クリスマス礼拝)
 その4『仕える者となって』
※この記事は止揚学園のご理解をいただいて、冊子・止揚からの転載です。
※文中に保母さん(保育士)や看護婦さん(看護師)という表現がございますが、筆者の思いを尊重して原文のままに表記します。


その4『仕える者となって』
 止揚学園には年間三千人位のお客さんがあります。来てくださった多くの方が、こんな事を言ってくださいます。
 「止揚学園には笑顔がたくさんあって、ゆったりしていて、ここにいると心が潤いますね、ぬくもりますね」 「ここは疲れた心の休みどころですね」こういう風に言ってくださいます。
“休みどころ” ”避けどころ”、今の人間はみんな疲れています。そんな時に、避けどころが必要だと思うんです。私はその避けどころを私たちに捧げてくださったのが、イエスさまやったなあと思っています。
 十二月二十五日のクリスマス、それは商業ベースに乗って、お金を儲ける為に、人間の欲の為に、ワイワイ騒ぐ日ではなくて、イエスさまが私たちに自分を捧げてくださった、その初めの日だと思うんです。
 イエスさまは、十字架に架かって私たち人間の罪を全部背負い、自分の総てを私たちに捧げてくださり、死に、葬られ、復活して、また私たちのところに来て、共に生きるとおつしやつてくださいました。すなわち捧げてくださった、その心が私たちにとっては避けどころ、休みどころになったと思うんです。
 私は止揚学園が、多くの方に色んなものを捧げた時に、ここは、笑顔がいっぱいになって、休みどころになるなあと思うんです。
 実は、手術を受けている時に、私の心、身体の中、頭の中に、ひとつの讃美歌がずっと響いていました。それは”サレナム”という歌詞の入ったパキスタンの讃美歌なんです。
“サレナム”、それはパキスタンの言葉で、”神は避けどころ”という意味なんです。こんな歌です。

救い主 イエスこそは
 サレナム サレナム サレナム
 固い岩、避けどころ。
 サレナム サレナム サレナム
 たとえ敵に囲まれても、
 地の果てで弱る時も、
 あなたは応えてくださる、
 サレナム サレナム サレナム
 救い主 イエスこそは
 サレナム サレナム サレナム
 固い岩、避けどころ。
 サレナム サレナム サレナム


《クリスマス会の呼び物は学園スタッフのダンス》

この讃美歌がずっと響いておりました。
何かがあると怒りに燃え、そして人間の冷酷さを呪う弱い私ですけれども、みんなが祈り支えてくれた時、イエスさまが避けどころになってくださった時、とても強い私に変えられるんですね。あの手術を平静な心で乗り切る強さをもたせてくれるんです。
 何も持たない私に総てのものが与えられる、これは人間の力では不可能だと思います。何か見えないものが側にいてくれなければ。
 イエスさまは、私たちのところに来て、そして私たちの足を洗ってくださり、いつも私たちに仕える人になってくださいました。上に立って私たちを指導したり、管理したり、偉そうな言葉を言う、そんなことではなくて、仕える人になってくださった、その行動こそ”愛”というんだと思うんです。クリスマスは愛が生まれた日です。クリスマスは欲の日でもなく、経済的な市場主義の日でもなく、利己的個人主義の日でもなく、愛の日なんです。
 避けどころ、休みどころ、それは相手の心を思いやる優しい心、捧げる心、すなわち”愛”私はその愛に包まれたとき、人間は弱くても強くさせられる、何ももっていなくても、総てのものが与えられる、その事を、今度の手術を通してシミジミと感じました。
 クリスマスがやってきました。愛が生まれました。イエスさまが私たちに仕えてくださいました。足を洗ってくださいました。 止揚学園、2009年度は”みんなに仕える者”になって、歩んでいきたいと思います。
 そしたらこの暗い閣の今の地球、世界、日本が、輝く明るいものに変わって行くのではないかと思います。総ての者が仕えることが出来たら、総ての者が捧げることが出来たら、避けどころになることが出来たら、この暗い社会が、明るい光の輝く社会に変わっていくのではないでしょうか。自分の要求だけを叫んで、自分たちの得だけを叫んで、自分たちの思いだけを叫んでいたら、いつまでも闇は続くと思います。偉い者も、偉くない者も、上に立つ人も、上に立たない人も、皆が仕えるものになっていく、私はこの聖書の御言(みことば)を2009年度、行動に示していきたい、と思っています。
 そして私たち仲間は、そのことを祈りながら、心に深く誓っています。人間は冷酷ですけれども、温かいんですね。しかし、その温かさは人間が創り出すものではなくて、神さまが創り出してくださるものなんですね。そのことを思いながら、今日のクリスマス礼拝、終わりたいと思います。

関連の記事


カテゴリー: 止揚学園の人々 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください