大垣北高13期生

先週08/02は母校大垣北高校の同窓会総会が大垣市内で開催された。 翌日にはNSDI-PT今年度第一回会合のための上京を控えていたが、年次幹事の末席にいる身としては義務出席やむなしということで出席してきました。翌日の東京での写楽と併せて記事にします。


大垣北高校は旧制大垣中学(1894年創立)からの百十余年の歴史を持つ高校です。 茫猿はその新制第十三期の卒業生です。 在校当時も今も「ワル」と仲間達から言われ続けており、格別の思いは何もありませんが、当時から今に交流が続く同窓生達にはそれなりの思いがあります。 十三期生も再来年は卒業五十年のお祝いを同窓会から受ける予定ですから、何と学校出てから半世紀、よくもまあ無事に過ごしてきたことよという思いだけは確かにあります。

その五十年のお祝いを前にして、来年は同窓会総会の主管(幹事役)が巡ってくるわけで、多分最後の主管となるのでしょうし、細かいことは五十代四十代の後輩が仕切ってくれるとしても、先輩年次主管の恒例として相当数の同期生を総会に集める義務みたいなものもあるわけで、今からそれなりの準備も必要ということです。 多数の同期生を集める義務みたいなものというのは、同窓会費や母校後援会費の徴収という、隠されてはいても本来の目的もあるわけで、今から同期生の協力を願うことヒタスラなのです。

同期生ですから全員緑寿を数えているのですが、往年の美少女達は今も多くの面影を残していますが、往年は紅顔の美少年だった悪友達の髪前線は後退し白髪多く皺も深くなっているのは何故なのでしょうか。


さて話変わって、翌々日、前日のNSDI-PT会合を踏まえて都内関係先を訪問行脚していたなかで見かけた光景です。 東京駅八重洲口は大丸が入居していた駅ビルの解体作業が随分と進んでいました。 来年の夏には築地方面からの海風が皇居まで真っ直ぐに届くようになるのでしょう。

赤坂・日枝神社前・山王下交差点付近で喉の渇きを癒すために入ったカフェがとても佳い雰囲気でした。 テラスカフェではなく、歩道との仕切窓扉を全開にしてオープンテラス風に設え(しつらえ)てあるのです。 調度や植木鉢も南国風で、とてものびやかな時間を過ごせました。《画面中央奥に日枝神社鳥居が見えます。》

八重洲口から新幹線に乗ろうと駅構内を歩いていましたら、これも母校同志社の創立者新島襄の案内掲示(オープンキャンパス案内だったでしょうか?)を見かけました。 手前味噌ですが、さすが新島襄と誇れる激文でしたから激写したというわけです。 しかし、明治男という者は新島に限らず、どうしてああも佳い顔を持っているのだろうかと思います。 生来の角のせいか、気骨のせいか、それとも安逸を願わぬ硬骨のせいなのか、考えさせられます。

我が校の門をくヾりたるものは
政治家になるもよし、宗教家になるもよし、
實業家になるもよし、教育者になるもよし、
文学者になるもよし、
且つ少々角あるも可、奇骨あるも可、
たヾかの優游不断(ユウジュウフダン)にして、安逸を貪り
苟(イヤシ)くも姑息の計を為すが如き、
軟骨漢には決してならぬこと
これ予の切に望み、
偏(ヒトエ)に希ふ(ネガウ)ところである。

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