不動産のリスクマネージメント-Ⅱ

《不動産のリスクマネージメントから続く》
 研究会2008年度報告書で述べているとおり、ここで云う「リスク」とは、不動産取引に伴う様々な「危険」を意味するものではなく、不動産に関連する多様な「不確実性」を意味しているのである。不動産市場は、価格や賃料の変動をはじめとして、自然災害や土壌汚染、法制度上のリスク等の多様なリスクが顕在化しつつあり、その不確実性も高まってきている。
 また、最近の世界的な金融・資本市場の混乱に際して、不動産市場から過度に資金が引き揚げられている背景には、不動産市場の透明性の低さが”リスク”として捉えられてしまっていることも、要因の1つとして考えられると、2008年度報告書は冒頭で述べている。


 そこで、「不動産における全てのリスクを明らかにし(リスク透明性を高め)、その評価方法や解釈、コントロール/マネジメント手段などに関してそれぞれの課題を明らかにするとともに、これらの実施方法等に関するモデルを示していくことが重要である」と報告書は云う。
 このような過程を通じて、不動産市場の透明性が向上し、不動産市場全体のリスク配分が最適化されれば、不動産市場への長期安定資金の流入の活発化、不動産市場の流動性の向上、企業不動産(CRE)や公的不動産(PRE)の流動化の促進、企業財務の安定を通じた経済の安定的成長、さらには個人や家計が保有する不動産(HRE)における経済的健全性、安定性の向上、不動産の取引手法、リスクマネジメント手法の発達、リスクマネーの適切な配分による新規不動産開発の創出、土地利用の効率化などの効果が期待されるのではないかと、報告書は云う。
 つまりリスクを危険性と理解するときには研究会の検討趣旨が見えてこなくなるのであり、「不動産市場におけるリスク(予測しがたい変動要因)を透明化すること」と理解すれば、何を目指そうとしているのか判り易くなる。
 先頃、この報告書作成に深く関わるA氏と電話で話す機会があったが、A氏は鑑定評価と関連してこのように述べた。
・鑑定評価の過程を透明化することが重要である。
・どのような資料を基礎とするのか、
・どのような資料は基礎資料として採用していないのか、
・鑑定評価の限界を明らかにすること、
・鑑定評価の及ばないことを明らかにすること、
・つまり弱点とも云えることを開示することが信頼性につながるのではないか、
・価格比準の行程、
・時点修正率判定の詳細、
・利回り判定の基礎資料と詳細、
・収益や必要諸経費判定の基礎資料、等々
 諸々の過程や基礎資料を可能な限り明らかにして行くことを市場は求めている。
 個人情報保護法や守秘義務の制約があるから、全てが開示可能なものではないが、可能な限り開示し、開示できないものと開示できるものを明らかにしてゆくという評価主体のオープンな姿勢こそが一番求められるものではないのか。
 鑑定評価額と価格形成要因が記載されていれば良いと云うものではなく、評価額試算の全行程を可能な限り透明化することを求められていると、A氏は云うのである。市場に存在するリスク(不確実性)を可能な限り透明化してゆこうという鑑定評価主体側の姿勢を市場は求めているのであり、そのリスク透明化という命題の前に鑑定評価は「One of Them」なのであるとも云う。
 この点に関しては、2010/04/06に国土交通省土地・水資源局土地政策課が公表した「土地取引に有用な土壌汚染情報の提供に関する検討会」とりまとめの公表が参考になるであろう。

 土地取引に際しては様々な情報が必要となるが、土壌汚染に関する情報は現在体系的には提供されておらず、土壌汚染に関する情報を提供するデータベースを構築し、充実した情報を提供することにより、多くの土地取引関係者や国民が土壌汚染情報データベースにアクセスし土壌汚染に対する認識が深まるとともに、土地取引に際しての情報収集コストの低下等を通じて土地取引が円滑化・活性化することが期待される。また、土壌汚染地についての情報が広く共有されることで市場での取引等を考慮して適切に土壌汚染対策を講じようとするインセンティブが生じ土壌汚染対策が促進される効果も期待できる。 本報告書を踏まえた土壌汚染情報データベースの速やかな構築・運用が望まれる。

 鑑定協会はこのような不動産鑑定評価周辺における様々な動向について無関心であってはならないのであり、むしろ積極的に関与してゆく姿勢が求められていると考えられるのである。
 この点に関しては、国土交通省・土地水資源局において、不動産データベース委員会や証券化不動産鑑定評価フォローアップ委員会など数々の国交省開催委員会、審議会等に参画し、先頃(2010.1.29)は 静岡県不動産鑑定士協会にて「不動産市場の予測可能性」と題して講演された清水千弘氏も、ほぼ類似のことを述べられたと仄聞しているのである。
「不動産鑑定士は蛸壺のタコか?」と題する記事を掲載したのは2008年4月13日であり、「新基準を考える-特定価格とコンサル」と題する記事において《鑑定士の判断という蛸壺》と書いたのは2002年10月16日のことである。今に至るも何も変わっていないなと感じるのは茫猿ひとりのみであろうか。
 極論であり、ラジカルであることを承知の上で述べれば、取引事例資料や賃貸事例資料などの不動産鑑定評価の基礎資料は可能な限り開示すべきなのであり、鑑定評価の評価主体と評価依頼者とそして第三者がそれら基礎資料を共有し共通認識を持つことから始めるべきなのであろうと考える。 その上で、鑑定士はその開示・共有される基礎資料の解析過程について、その当否を社会に問うべき存在なのであろうと考えるのであるが如何なものであろうか。 いかなるアナリストであっても、分析の客体《基礎資料》をブラックボックス化する分析結果についてその当否を問うことはできないと考えるのである。
 不動産鑑定評価基準、総論・第1章・第2節(4)は次のように述べる。

(4)不動産の現実の取引価格等は、取引等の必要に応じて個別的に形成されるのが通常であり、しかもそれは個別的な事情に左右されがちのものであって、このような取引価格等から不動産の適正な価格を見出すことは一般の人には非常に困難である。したがって、不動産の適正な価格については専門家としての不動産鑑定士等の鑑定評価活動が必要となるものである。

 しかし、鑑定基準が起案された当時から既に半世紀近くが経過し、不動産を取り巻く状況も不動産市場も大きく変化しているのであり、鑑定評価書に関わるステークホルダーも証券化評価等をはじめとして大きく変化しているのである。そのような現実を前にするときに、「不動産の現実の取引価格等」について秘匿されたままの鑑定評価がその存在意義を主張し得るだろうかと考えるのである。
 『鄙からの発信』が、「鑑定士自らにおいて、基礎資料のデータベースを整備し、その推移動向やベクトルを詳細なエリアにわたって解析公表した上で、鑑定評価書を組み立てる時期に至っている」と述べるのは、まさにこのような背景を云うのである。

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