霧深い朝

 歳末の表現がふさわしい時機となりました。 今年も残すところ十日となりましたが、世相を表すように今朝は霧深い朝です。 そんな冷気が満ちる朝にも習い性となった早起きをして、コーフィー豆を挽く香りに包まれてビバルディーを聞いていれば、ささやかな幸せを感じます。 鄙の我が庵は音もなく霧の底に沈んでいます。 朝はビバルディー、夜はマイルスディービスに身を委ねていれば、我が庵の閑かさこそが得難きものに思えてなりません。
 孤立と違い、孤独は慣れるものらしい。《2010.12.22 天声人語より引用》
堀江謙一が「太平洋ひとりぽっち」に書いている。 嵐と船酔いで迎えた17日目は〈寒さと心配と孤独のため、発狂しそうだ〉。 それが72日目になると〈まわりに人がいないというだけの孤独なら、いつかは我慢できるようになる〉と強い。〈出てくる前のほうが、よっぽど、ぼくは孤立していた〉


 昨日、岐阜市の中心部に近い住宅地の地価を調査する機会がありました。 ほぼ一年前の評価を再評価したのですが、少なくない事例に認められる地価水準は予想以上の下落振りを示していました。 一年前と同じ比準表を用いて取引事例を入れ替えて再演算したのですが、あっさりと規準価格を下回った試算結果が得られてしまいました。
 業者聴取をすれば、発生する事例は下ブレばかり、事業者は下落リスクを怖れて適正と思われる水準から納得できるリスク負担率を控除した価格でなければ手を出さないと言っていました。 街中で偶然出会った旧知の業者も、自身の病のせいもあるのですが、リスクを負担する気力が無くなったから、もう引退すると言っていました。 デフレ基調が治まらないかぎりは地価の下落現象は来年も続くのでしょうか。
 少子高齢化、一次取得者層の若年齢化と所得低下、農地収益価格の低落、住宅の余剰などなど、地価を取り巻く環境に上昇を予想させる要因は見あたりません。 というよりも、東アジアにおける地価の平準化が起きている、まだ続いていると考えた方が素直なのだと思われます。 東京一極集中の解消、地方都市の活性化などというよりも自立促進施策、高度成長が終焉を迎えてから二十年余を経過した今こそ求められるライフスタイルなどと、とりとめのないことを考えています。
 大学生の就職活動前線はとても厳しいとマスコミが伝えています。 まだ内定しない四回生に、就活を始めた三回生、加えて留年した五回生が入り乱れて、安定しているだろうと錯覚する上場会社の内定を競い合う。 皆一様に同じリクルートスーツに身を固めて町中をひしめき合う姿は「ハメルーンの笛吹」を思い起こして悲しくなります。
 若者がフロンテイアを目指そうとしないのも哀しいですが、本人よりも彼らの廻りに的確なアドバイスをするオトナたちがいないと思われるのがもっと哀しいのです。 数日前に「人生を終わりにしたい。」とバスのなかで刃物を振り回した愚か者がいましたが、若者が人生を終わりにしたいのであれば、もう少しヒロイックなあるいはロマンチックな終わり方があるだろうにと思います。 暮れの寒空に寝るところがなく空きっ腹に我慢できなければ、豪華な無銭飲食の方が随分とましだろうにと思います。 考えて考えて考え抜こうとする意欲も気力も智慧もないから、刃物を振り回すのだと言ってしまえばそれまでですが、悲しく遣り切れない出来事でした。

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