華流ドラマ・諍い女

齢を重ねて訪れた晴耕雨読のほかは為す術もない日々も悪くないと思っている。
韓流ドラマがずいぶんと前に話題になっていたが、「冬のソナタ」が人気だった頃は見る時間も無かった。 最近に「イサン」とか「トンイ」などの再放送を知り、興味深く見ている。 あくまでドラマであり李王朝史に忠実な訳はなかろうが、それは日本の大河ドラマも似たようなものだろう。 それはさておき韓流歴史ドラマは李王朝のコスチュームプレイも楽しめる。

そんな李王朝のコスチュームプレイや韓流格闘技を楽しんでいたら、もっと凄い歴史ドラマに出会った。 華流ドラマである。 その名も「宮廷の諍い女」、なんともオドロオドロシイ題名である。《諍い女は日本放映用のタイトルであり、原題は後宮・甄嬛伝である。》 中国清朝・雍正帝の時代の後宮における皇后と何名もの側室達の、皇帝の寵愛を巡っての諍い《いさかい》が演じられるドラマである。

1722年、 9人の皇子たちによる皇位を巡る争い“九王奪嫡”の末、愛新覚羅・胤禛(あいしんかくら・いんしん)が康熙帝の後を継いだ。それは清の第5代皇帝・雍正帝の時代の幕開けと同時に、皇帝の寵愛を巡る側室たちの激しく哀しい諍いの始まりでもあった……。
皇后と華妃が勢力を二分する後宮に、甄嬛が側室として宮廷入りする。 そこは皇帝の寵愛を巡り、女の嫉妬と陰険な陰謀が渦巻いていた。華妃とその手下の側室が仕掛けてくる冷酷な罠を、甄嬛は智慧で乗り越える。しかしその諍いで心も疲れ切った甄嬛は宮廷を後にする。外の世界で待ち受けていたのは、皇帝の弟・果郡王との安らぎの時。しかし幸せな時間の中、甄嬛を不幸に陥れる真の敵の影が忍び寄っていた。再び後宮に戻る甄嬛は、真の敵を倒すことができるのか?果たして果郡王との愛は貫けるのか? 甄嬛の辛く哀しい人生の扉が、今、開かれる――   《サイトよりの引用》

何やかやと様々に諍かう側室達の凄まじさと、それに悩まされる後宮唯一の男性である皇帝、そして宦官たちの表裏さだかでない”女の園”でのしたたかな宮仕え作法を楽しんでみている。 最初のうちは、好色な中年オジサンにしか見えなかった雍正帝《チェン・ジェンビン》が、この頃では気の毒に思えてくるのである。 それにしても、後宮の妃嬪たちの衣装の豪華さは見事である。 共産中国で、こんなドラマが制作され放映されていることに時代の変化を感じるのであるが、こんなドラマを放映する中国では「シャドーバンクの破綻」が懸念されているという。 これも改革開放の光りと影なのだろうか。
主演のスン・リー(孫儷)はウーロン茶のCMに出てた。
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《蛇足》 韓流歴史ドラマや華流歴史ドラマを理解するために、東アジアの歴史年表を復習している。復習といっても、簡単なことである。日本、朝鮮、中国 東アジア三国の対比年表である。
歴史考証がいいかげんというより、ほとんどでっちあげみたいなコミックドラマも存在するから、年表の対比や、五十年以上前に開いた歴史教科書の反芻も必要である。

《19:00追記》 諍い女、今日の槿汐の台詞は秀逸だった。
「噂に流されて、味方を傷つけてしまうのは、最も愚かなこと。」

《2014.03.15 追記》 再放送は昨日で終了した。
中国においては、どのようなWEBがあるのかと、「甄嬛传」で検索してみた。
「甄嬛传」での検索結果はこちらである。

剧情介绍《劇情紹介:あらすじ》を、Google翻訳すれば、このとおりである。
「流血の政府を終了清朝雍正の治世は、勝利した場合、王位、平和と繁栄への新しい君主、より政治的に、しかし穏やかな外見の下に、角を曲がった底流。具体的には、ハーレム、軍は強制華飛、クイーンライバルパーティー、危険な異常。皇太后の後援の下、壮大なドラフトが始まった。偶然、美しく、優しい女の子」

韓国ドラマ、「イ・サン」や「トンイ」に比べて、遠慮会釈のない描き方は中国風なのかと思ったが、よくよく考えてみれば、韓国歴史ドラマは李氏朝鮮の物語であり、日本併合により終焉した李朝を描くものであり、いわば同じ民族の王朝であり滅亡の経緯を考えれば、一種のノスタルジーが感じられる。 これに対して清王朝は漢民族にとっては満州族の愛新覚羅氏による征服王朝であり、共産中国:漢民族からすれば辛亥革命により倒した異民族王朝であり、遠慮のない描き方となるのであろう。

 

 

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