小史・鄙からの発信

本日の記事は「鄙からの発信」2538号の記事である。Morishimaドメインを取得して初代『鄙からの発信』サイトを開設したのは1999/02のことである。当時は今から思えば稚拙ないわゆるホームページスタイルであった。同時にメールマガジンで記事配信《今は休刊》も行っていた。メルマガ購読者数の最大値は500を越えていたかと記憶する。インターネットがそれほどは普及していない時代の小さな業界でのメルマガとしては結構な数だったと記憶している。 記事に写真などを掲載することはなく、テキストのみのホームページだった。

その後2005/09からは、Excite Blogに転じブログスタイルで発行を続けた。しかし、ドメインMorishimaにて発行する《格好良さ》を捨てきれず、2007年には発行ツールにM0vable Typeを採用しbouen.morishima.comとしての発行に戻っている。2012/03からは発行ツールをWord pressに変更して今日に至っている。《この間、Excite Blog時代を除けば、morishimaサーバの管理をはじめ縁者の支援は大である。こう注書きしておかないとツッコマレル!》

1999/02以来の15年あまり、月毎年毎に生地数の多少はあるけれど平均すれば毎年160本前後を書き散らしてきた結果が、塵も積もれば山となったワケである。1000号に達したのが2007/01でありこの間8年、2000号に達したのは2011/02でこの間4年だった。そして、2500号に至ったのは2013/03/24のことである。 発行記事数を誇っても詮無きことであり、記事に見るべきものがなければ、ただの垂れ流しである。そして記事に見るべきものがあり得たのか否かは、茫猿が云々することではなく読者が評することである。

それでも、なんにせよ15年間2500号を記録できたことに多少の自賛は許されようと思っている。よくもまあ続いたことよと、少し呆れてもいる。今となれば続けることに意味があるのではとも思っている。なぜ続けるのかと問われれば、それが茫猿が茫猿たる所以だからとでも答えようか。

そもそも、「鄙からの発信」を始めたのは、1999年03月に当時の鑑定協会会長選挙に立候補を決意し、その選挙ツールとしてWebSiteを利用しようと考えたことにある。地盤も鞄もましてや看板など無に等しい候補者が、それなりの選挙戦を戦い多少の成果を上げるにはどうしたらよいかと考え倦ねた結果がWebSiteの利用であり、メールマガジンとウエブサイト併用の「鄙からの発信」の発刊だった。 公職選挙法でインターネット利用が解禁されたのは2013年のことである、十年以上前に小さな業界のこととはいえ全国圏域選挙にインターネットを利用したのだから、 これも少しは自画自賛してもよかろうと思っている。 この辺りの事情は「十年一昔」等記事に述べている。

選挙が終わって、地盤も鞄も看板も無い候補者にしては泡沫候補ともならず良くやったと評価されたけれど、当然のごとくに負けた後はどうするかと考えたのであるが、物心両面にわたってご支持をいただいた全国の鑑定協会会員にお応えするには、業界活動を継続してゆかねばならないと心に誓ったのである。 だから、それなりの業界活動を続ける傍ら、「鄙からの発信」を烏滸がましい言い方が許されるなら、Opinion Site 及び茫猿の身辺雑記サイトとして今日に至ったという訳である。

昨今のインターネット事情は1999年当時とは様変わりしており、パソコン機能や通信速度は格段に向上したし、ブラウザーや検索ツールも大変に良くなった。 コミュニケーションスタイルにしても、Mixe、TwitterやFaceBookなどのSNS(social networking service)が全盛である。 最近のスマートホーンの世界ではLINEが席巻しているようだが、茫猿は利用していない。誰もが気軽に情報発信する時代になったと同時に、Blogなどに一時の勢いはない。

ごたぶんにもれず「鄙からの発信」も一時の勢いを失っている。これは茫猿が業界を引退したことが多分に影響していることであろう。それでも定期的にこのサイトを訪問していただく読者は途切れていないし、FBなどで記事告知をすればVisiter数はいっときそれなりに増加もする。

業界活動を引退した頃には、今後の「鄙からの発信」をどうするか、継続するか廃刊するかと悩んだものである。 前線を退いたものが、業界や不動産鑑定評価についてあれやこれやともの申すことも些か憚られる思いもしたのである。 それでも「もの言わぬは腹ふくるるわざなり」とか「もの申さぬ卑怯さ」とか、手前勝手な理屈をつけて「茫猿は遠吠え」を続けてきたのである。 流石に昨今は業界浦島と成り果て、あさっての方向を向いて吠えている気味がしないでもない。

畢竟、茫老猿は死なず消え去るのであろう。そのせいか、この頃は身辺雑記、就中老いの繰り言が多くなってきた。こんなものに付き合わされる訪問者こそいい面の皮なのであり、だから訪れる方も日ごとに少なくなってきているのであろう。古来稀な年齢に達したのであれば、それも憂き世のならいであり、行雲流水たるさだめでもあろう。

WindowsXp騒動などもあり、使用するパソコンをMacintoshに最近替えたことでもある。 キーボードが打てるあいだは「鄙からの発信」を続けてゆこうと考えはじめている今日この頃なのである。 そんなに遠くないころに、「鄙からの発信」は茫猿が生きていた(る)証となる日が訪れ来るだろうと考えている。

 

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