由なしごとを

なにごともなく五月連休が過ぎたと思ったら、その後気忙しいというか何やら追い立てられる日々が続いている。帯状疱疹後遺症である神経痛はまだ治まらない。皮膚の下を細い針で縫い上げてゆくような痛みが時おりする。右脇の下から胸元にかけて痛むから、こうしてキーボードを叩いていても、大きく腕を動かすと痛みが走る。走る痛みと云うものを初めて実感させられている。

《由なしごと−1》
家人が拠ん所ない事情で車に乗れなくなったから、先週以来、送迎を仰せつかっている。拠ん所ない事情と云うのは彼女の専用車が無くなったこと、しばらくは運転をしたくないと考えることにある。 つまりは古女房のアッシー君を務めているということである。アッシー君とタイプしたら、変換第一は”圧死”だった。

昨日は整形外科と歯科のハシゴだった。整形外科2時間、歯科2時間、両院の診察時間間隔が移動時間も含めて約3時間である。合計約6時間を埋める為に書店で文庫本を渉猟した。これからもあることだから、三冊をまとめ買いする。 網野善彦「列島の歴史を語る」、「日本の歴史を読み直す」、赤瀬川原平「老人力」である。老人力は網野史学の箸休めである。書店の隣がタオル店だったから、フェイスタオルを買い求めたついでに、車を失って気落ちしている家人にも「母の日プレゼント」として、少しばかり良質の今治タオルを求めた。

網野史学はもっと評価されてよいと考えている。網野史学を知れば「日本会議」などは雲散霧消してしまうことであろう。これは網野氏が言ったことではない。彼が紹介している「内藤湖南」という大正期の東洋史学者のことばである。「今日の日本を知るために、日本の歴史を研究するためには、古代の歴史を研究する必要は殆どありませぬ。応仁の乱以後の歴史を知っておったらそれでたくさんである。それ以前のことは外国の歴史と同じくらいにしか感じられませぬが、応仁の乱以後はわれわれの真の身体骨肉に直接触れた歴史であって、これを本当に知っておれば、それで日本の歴史は充分だと言っていいのであります。」 網野氏は応仁の乱と云うよりも室町時代と考えたいと述べている。

今年も母の遺した「セッコク」が美しく咲いた。母が居た頃よりも鉢数が増え、花付きも良いようで嬉しい。

《由なしごと−2》
家人の通院する整形外科から歯科への移動及び待ち時間が昼どきとなったので、久しぶりにふたりで外食である。ショッピングモールのなかのチェーン店は敬遠し、大垣駅前商店街も駐車が面倒だからと、郊外でいつか訪ねたら休みだった蕎麦屋を訪ねてみる。幹線道路から一本入った、柿畑のなかの店である。店構えも表の設えも結構であるし、店内もほどほどに整えられている。 昼どきを少し外して入店したが、営業関係の男性グループと数名の”セレブ”奥様女子会が先客だった。この二組は個別テーブル席で、我々は入れ込み席である。《セレブ奥様との見立ては、お乗りの車種のみでの判別。》

注文した蕎麦は、茫猿が天婦羅せいろ(大)、家人が天蕎麦である。蕎麦は旨かった。しかし、天婦羅の油キレが今イチだったし、そばつゆもキレを欠いていた。セイロに水切りの簀の子が敷いてあればナとも思う。次回訪問するとすれば、セイロ蕎麦もしくはオロシ蕎麦を注文することであろう。だから店名は紹介しない。使ってはいないけれど、置いてあった七味が良さそうだった。

《由なしごと−3》
連休過ぎの05/14(日)、我が住いする集落の出役行事があった。集落の各世帯から一名が出て、集落周辺の江川水路の土手草刈りを行うのである。この出役一名は老若男女を問わない、老爺でも老婆でも一名は一名なのである。江川水路の主な用途は農業用排水路であるから、非農家にも出役を求めるのは如何がかなとも思えるが、濃尾平野南平坦部で雨水悪水を排水する役目を有してもいるのだから、居住者総出という理屈も有り得る。

昔は《茫猿の幼少期、昭和二、三十年代》、道普請《道路は全て未舗装だったから、時おりに砂利を敷く必要があった。》、江浚え《小さな水路の泥浚えだったろうか?》などという出役もあったと記憶する。

この出役は春と秋の二回あり、何らかの理由で欠席すると、出不足料五千円也を徴収される。出ていれば、お八つが支給され、夕刻には会食がある。会食は二千円の仕出し弁当と冷えたビール三ケースと酒二升が用意される。《これらは例年と云う訳ではなく年毎に多少の違いはあるが、集落自治会の役員をこの二年間務めている茫猿が記憶する、ほぼ前年踏襲の今年の設えである。》

我が住いする集落は戦後長く戸数40戸であった。揖斐川以西の大垣市、長良川以東の羽島市、両市の地価上昇が影響して、平成に入ってから地価の安い輪之内町に小規模戸建て分譲地が増え、いまでは戸数72戸を数えている。増えた全戸が非農家であるし、従来からの非農家を合わせると、いまや非農家が多数を占める状況になっている。《輪之内町全体では1970年に7,469人であった人口が、2017年には9,910人となっている。》

今回の春の江浚え出役には、72戸中64戸が参加し、夕刻の例会並びに会食には約50戸弱が出席した。家人などに言わせれば、江浚えは出不足料というペナルテーがあるから判るけれど、夜の会食に五十名も集まるなんて信じられないという。事実、茫猿もこの五十年間、江浚え出席率は五十%弱、会食出席率はゼロだった。 自治会役員だから仕方ないと、初めて会食に出てみて感じたのは、これはこれで意味あることだということである。

日頃は近所でも顔を見ることのない同じ集落自治会仲間が、さほど旨くない仕出し弁当を食べ、少しばかりの酒を飲みそして由なしごとを語らう。その無意味さが意味ありと思えるのである。用意した弁当は十数個が無駄になってしまったけれど、それはそれで仕方のない意味ある無駄だと思える。《役員仲間では、秋の江浚えでは会食欠席者数を読もうかという声もあるが、読みがはずれるとたいへんなことである。》

ジャガイモが花を咲かせた。左が”インカの目覚め”、右が”北灯り”である。インカの目覚めは今年初めて栽培する。どんな味に出会えるか楽しみである。
  

芍薬なのだが、八重よりも右の一重のほうが我が好みである。  

 

 

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