「陽春は物憂いもの」と第する記事を掲載したのは 2006年5月6日のことである。当時はこのように書き出していた。
晩春はなぜ物憂いのであろう。花咲き緑あふれ、そこかしこに命があふれているのに、なぜか物憂いのである。昨日も日がな一日、陋屋の庭と云うか藪と云おうか野良に出ていた。下草を刈り下枝を払い枯れ枝を集め、林の中を過ぎてゆく風が通りやすくしていたのである。
一汗も二汗もかいて、流れてゆく風に汗をぬぐわせていると、とても心地よいのであるが、陽溜まりに咲く花々や陽射しに映える若葉を眺めているとふと物憂くもなるのである。
多分、己自身が来し方行く末の峠を随分と越えてしまったせいでもあろし、昨年は友人(古田氏)を肝臓ガンで失い、この春は肺ガンを発病した三つ違いの尚子叔母を思うからであろう。一昨年に脳梗塞で倒れた隣家の幼なじみ佳弘くんは未だに回復の兆しなく、茫猿を認識してもくれない。
「この春も花は同じように咲くのに、人は逝きて還らず倒れて復えらず」その哀愁が物憂くさせるのであろうか、我が身にとっても過ぎた日々は還らず、衰えを見せ始めた肉体のそこかしこが蘇る様子とてないのである。
以上は、当時まだ62歳だった私の述懐である。今や76歳になった私は物憂い思いよりも、巡りきた春をいと惜しむ思いの方が強い。再びの春が約束されているものでもないと思う年齢に至ったせいかもしれない。次の春には自らが逝きて還らぬやも知れぬ年齢に至ったと云うことであろう。
この春は”沈黙の春”を意識する。毎朝に登校する子供達の声が無く、小学校に遊ぶ声も無い。配達される新聞は薄く、折込チラシも挟まれていない。テレビ番組は再放送番組が多くを占めるようになり、バラエテイー番組からは騒々しさが消えている。ソシアルデイスタンスが声高く言われ、五月連休はステイホームが求められている。自粛と自覚と自責が求められている。
3月の半ばから入院している久美子叔母には見舞いも叶わない。独りで病床にいる”お姉ちゃん”が、なにを思って一日を過ごしているだろうかと考えれば居た堪れない。居た堪れないけれど、見舞いは禁止されていて叶わない。
04/07に発出された緊急事態宣言の期限は連休明けの05/06であるが、延長も話題になりつつある。プロ野球もJリーグも開幕が延期されているし、選抜高校野球は中止、インターハイも中止が決定され夏の甲子園も中止やむなき様子だ。
神戸の震災で無常を思いながらも復興復活を疑わうことなかった《当時51歳》、少子高齢化過疎化が進む三陸沿岸の震災に非情を思った《当時67歳》、今 新型コロナ感染症が蔓延する”沈黙の春”の真っ只中に思考停止する数え77歳の春である。
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