ある訃報

【只管打座・・ある訃報・・01.07.01】
 本日の日経新聞朝刊で糸瀬茂氏の訃報に接しました。享年47歳との
ことです。マスコミへの露出度が高くないのでメジャーな存在ではあり
ませんでしたが、本質を突いた歯切れが良く判りやすい論評に共感する
ことが多く、茫猿は常に敬意をもって著述を読ませて頂いておりました。
 あまりにも若い人生の閉幕であり、寂しく訃報を受け止めました。
「佳人・才人、薄命」であり、天の配剤のむごさを思いました。
(日経訃報記事より引用)
 糸瀬 茂氏(いとせ・しげる=宮城大教授)6月30日午前3時37分、
食道がんのため東京都港区の病院で死去、47歳。
 専攻は金融論。ドイチェ・モルガン・グレンフェル証券東京副支店長
や長銀総研客員研究員を経て宮城大教授。
著書に「日本経済に起きている本当のこと」など。
 糸瀬氏は、JMM [Japan Mail Media] にも多くの寄稿をされていまし
た。糸瀬氏のJMMへの寄稿は、下記のURLから「糸瀬」というキー
ワードで検索すれば、閲覧できます。
http://www.ryumurakami.com/jmmarchive/
 ご生前の多くの寄稿の中から、最近の「銀行保有株式取得機構」につ
いての論評の一部を転載します。
マスコミに露出する御用学者達が駆使する、「問題点を覆い隠し、すり
替える論説」に比較して、本質を的確に言い当てている簡明な論旨だと
思います。(以下はJMM01.04.16・NO.110より抜粋引用)
 今回の株式取得機構が、「果たして株価対策なのか、経済対策なのか」
という点から整理しておく必要がありますが、私は、このスキームは、
単純な株価対策でしかないと思っています。私は、そもそも国(政治)
が株価対策を講じること自体に、否定的な立場に立っています。
 株価は、あくまでも実体経済という「実像」が鏡に写った姿、すなわ
ち「写像」に過ぎません。実像が美しければ、写像も当然美しいが、実
像が醜悪であれば、写像もそれを忠実に写して醜悪であるということで
す。
 ところが、今回の株式取得機構にしても、3月末にまた性懲りもなく
行なわれていたPKO (公的資金を使った株式買支え)にしても、実
像を直視することなく、鏡の表面に細工を施すことによって、写像のみ
を美しく見せようとするものです。
 喩え話を使って話を簡略化することは乱暴だったかも知れませんが、
株式市場に限らず、日本の資本市場全体における最大の欠点(=後進性)
は、政治が余りにも安易に市場に介入することにあります。
そして、その後進性こそがしばしば一部外資系証券の利益の温床となっ
ているのです。
 銀行と企業間の(そして一般企業同士の)持ち合い解消は、この10
年近くに及ぶ「経済界の誰もが」十分に認識している重要課題でした。
 また、この9月から「持ち合い株に対する時価評価」が求められ、そ
れが持ち合い解消の実質的な「デッドライン」となるということも、経
済界の誰もが十分に認識していることでした。だからこそ、カルロス・
ゴーン氏の日産に象徴されるように、多くの企業が大胆な持ち合い解消
を進めてきたわけです。
 ところが、「根性なしの銀行」(失礼!)だけは、長年にわたる持ち
合い企業とのしがらみから、持ち合い株を売るに売れなかったのです。
そこへ株価が下がりだしてきた。そこで政府が、「仕方がないな、では
政府が買い上げてやろう」と言っているのが今回のスキームの単純な本
質です。
——– 引用終了 ———

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