蜩の記と蝉しぐれ

蜩(ひぐらし)の記」、第146回直木賞受賞の葉室麟氏作品である。蜩の記を書店の平積みで見かけ、手にとって直ぐに思ったのは蝉しぐれである。 「蝉しぐれ」は1988年、藤沢周平作品である。 即座に買い求めて一気に読み終わって感じたのは、両作品に共通する感覚である。 背筋のすっくと伸びた男の生き方を縦糸に幼なじみとの淡い恋心を横糸にした構成もさることながら、情景描写の巧みさと云うよりも読者の心に染み入ってくる語り口の爽やかさである。
藤沢周平氏は1927年~1997年、前半生は業界紙記者として過ごし、庄内に位置する架空の海坂藩を舞台にして幾つかの時代小説を書いている。1973年「暗殺の年輪」で、第69回直木賞を受賞している。 葉室氏は1951年生まれ 地方紙の記者を経て、2007年「銀漢の賦」で第14回松本清張賞を受賞、以後毎年の如く直木賞候補に推されること五回目にして授賞する。 今も久留米市に在住し、九州北部を舞台にする幾つかの時代小説作品を発表している。


蜩の記を読み終わったあと、他の葉室作品も読みたくなって、「実朝の首」、「銀漢の賦」、「いのちなりけり」、「秋月記」、「刀伊入冦」を続けて読んでいる。
幼き日の交情を心懐かしく思ったとしても、互いの立場の違いから心ならずも掛け違ってゆく男たち、善と悪とを単純に分かちきれない処世現実の柵(しがらみ)に向き合いながらも、自らの信じるところへ歩んでゆく人の姿を清らかに描いてゆくのが葉室作品であろうか。 藤沢周平氏亡きあと、無条件に買い求める作家に巡り会えなかったが、葉室氏はその挟間を埋めてくれる作家であろうと思っている。

「文四郎さんの御子が私の子で、私の子供が文四郎さんの御子てあるような道はなかったのでしょうか」
いきなり、お福さまがそう言った。だが顔はおだやかに微笑して、あり得たかも知れないその光景を夢みているように見えた。助左衛門も微笑した。そしてはっきりと言った。
「それが出来なかったことを、それがし、生涯の悔いとしております」《蝉しぐれより》

松吟尼は秋谷に愁いを含んだ目を向けた。
「もしも違う道を歩めば、かように悲しいお別れをせずにすんだのやもしれませぬ」
涙を浮かべて見つめる松吟尼を、秋谷は愛惜の情を湛えた眼差しで見返した。
「違う道を歩みましょうとも同じであったのではありますまいか。若いころの思いを、ともに語れるひとがこの世にいてくださるだけでも嬉しゅうござる」《蜩の記より》

まだまだ冬枯れの庭だが、マンサクの花が咲き始めた。

紅梅もようやくに三分咲き程度か。

白梅はまだ蕾である。

もう茫猿の手は離れたと思っていた「新スキーム改善問題」であるが、何やら危うい風向きを感じている。 それは公的土地評価に関わる新スキーム由来事例の取扱についてである。 相評・固評に関わる事例資料利活用を公的土地評価関連として、地価公示・地価調査に準じて取り扱うか、それとも一般鑑定等利活用に分類するのかという問題である。
この問題の帰趨は公的土地評価のあり方だけでなく、公益社団法人の事業目的の有り様にも大きく関わってくると考えているのである。 この件に関しては原稿は既に用意しているが掲載はしばらく見合わせているところである。

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