夜来の雨が上がり、陽が照ってきたから畑を見回ってきた。昨夜(05/26)の雨は思ったよりも降ったとみえ、畑の溝にはまだ水がたまっている。
Macが我が鄙里に再びやってきてから既に十日近くが経った。その日からは、ひたすらMac三昧だったので、見放されていた畑はやや荒れ気味である。ホウレンソウとエンドウは盛りを過ぎたようで、葉が少し黄ばみ始めている。ジャガイモは花を咲かせていて、半月もすれば収穫期だろう。スナップエンドウ、大根と人参は採りどきが近いようだ。
葉が枯れ始めたタマネギは明日にでも取入れなければならないし、イチゴはたいした実りを得ることなく終わるようである。種を播いてあったトウモロコシの定植時期も近い。ミツバとパセリはろくに取入れることもしないうちに、花を咲かせはじめている。ナスビとキュウリ、トマトそれに万願寺トウガラシの初物をいただく時も近そうである。
梅畑を見回ったが、梅の実は皆無に近い。昨年は豊作だったから、今年は裏年かもしれないが、それにしても、どの木をみても実が見当たらない。ブルーベリーはたくさんの実をつけているが、どの実も小さくて、まだしばらくは木が育つのを待たねばならないのだろう。 昨年不作だった柿は甘柿も渋柿もそれなりに結実しているが、もう少し時が経たないと秋の実りは見通せない。
農薬を撒いたり、特段に肥料を与えたりしていないのだから、やむを得ないことなのだろうが、野菜育てというものは、つくづくあなた任せ(自然任せ)なのだと思わされる。ふさわしい時期に種を播き、頃合いに管理し、然るべく収穫するという作業を怠りなくしなければ、好ましい結果は得られない。 門前の小僧とはいえ、ほとんど素人の農人なのだから、作柄の出来不出来は仕方ないにしても、出来不出来の原因くらいは判るように早くなりたいものである。
名前を知らない花が咲いた。一つは母が丹精していたサボテンである。なんの手入れもしていないが、今年も初夏の訪れを告げている。母の残した花鉢に咲く花をみかけると、かがんで手入れをしていた母の姿が目に浮かんでくる。
もうひとつは、初夏に花をみかけるが、名前などまったく知らない花である。雑草とひとくくりにされる花なのだが、ごま粒ほどに小さい花にしては、群れになって咲き風に揺れているさまがとても可憐である。そのまま撮っては見分けがつかないから、切り花にして撮ってみた。 農人にとって、雑草はシャクの種である。でも咲かせる花は、どれを見てもそれなりに美しい。観賞花が化粧し、ときに整形したビジンだとすれば、野に咲く花は鄙育ち素顔美人なのかもしれない。
閑話休題、今や縁薄きことなのだが、不動産鑑定評価基準の改正が2014.05.01付けにて国交省より告示されたようである。この件については先掲記事があるから再びはふれないが、また一つ茫猿のウラシマ度が高くなったということか。
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