墓参・亡き友に会う

昨日、思い立って中村君の墓参りに行ってきました。六月二十八日に彼が亡くなって、百九日が過ぎました。お彼岸の頃には国内に居なくてお参りできず、百ヶ日を少し過ぎましたが、彼に会いたくてお参りに向かったのです。お通夜から葬儀に至る二日間は慌ただしく過ぎてしまい、彼の奥様とも彼との共通の友人とも何も語り合うことは出来ませんでしたから、百ヶ日も過ぎて落ち着きを取り戻した今だから話せることも話したいこともあろうかと考えてのお参りでした。

中村君と共に五十年来の友である松田君と同道して、この春に転居して落ち着く間もなく去って行った彼の旧居を昼下がりに訪ねました。住まうマンションの玄関先では、ようやくに持ち前の明るさを取り戻し、口数も多くなった奥様に出迎えていただきました。

ご挨拶もそこそこに、彼が納まっている仏壇にお参りし、奥様のお許しを得て、彼の宗旨とは違いますが正信偈一巻を読経して彼の冥福を祈りました。無心に声を挙げて読経しておりますと、何やら心安らぐ思いに満たされるのです。

彼への手向けには、何よりも生前に彼が喜んでくれた我が手作りの野菜が一番と勝手に考え、どれも朝掘り朝摘みの里芋、法蓮草、酢橘、銀杏それに定番の大垣銘菓・柿羊羹をお供えしたのです。《里芋と酢橘などと羊羹を袋に入れて両手に下げて向かったのだが、いずれもずっしりと重いものばかり、階段の昇り降りに加え、京都駅や地下鉄の長い通路は意外にこたえた。今朝はフクラハギが痛むのである。手提げの方が品が傷まないし見栄えも良いなどという家人の忠告などは聞かずに、バックパックにすべきだったと思い直している。》

しばらくは、奥様のおもてなしを頂きながら、彼女の近況、ホスピス病床でのあれこれ、晩期に彼が病を押して果たしていった”いわゆる後始末”のあれこれなどを伺いました。病に倒れた悔しさを口にしなかったわけではないのですが、それでも多くの日々を穏やかに過ごして別れを告げて逝った彼の思い出は、奥様はじめ残された多くの者たちに、心安らぐものとして残されているのだと思わされる時間でした。

彼が眠る菩提寺にも伺おうと、奥様の御案内で寺院境内の彼の墓にも参らせて頂きました。京都市・寺町鞍馬口のあたりに所在する菩提寺は由緒ある古刹でした。天正年間に会津若松からこの地に移転したと伝わる寺は、閑かで落ち着きある佇まいでした。

山門をくぐって直ぐの境内には見事な枝振りの松と並んで、樹高5mはありそうな枝垂れ桜の樹がございました。禅寺の常として境内には花樹が多く、四季折々に様々な花を愛でることができそうです。訪れた時には萩の花が咲いていました。墓石に水を掛け流して清め、シキビを供え線香をくゆらせ、彼の好物だったビールもお供えして、しばし墓前に佇みました。

彼の墓石のあたりから南東方に東山の大文字が間近に望める景観もあり、亡き彼と語り合うにとても良い場所に思えました。桜の頃や萩の頃、何よりもお盆の送り火である大文字焼きの時には、彼を偲び彼と語らい飲み交わしながら大文字を眺めていたいと思いました。

彼にお供えしたビールですが、運転をする松田君は飲めないので、私が彼のお下がりを頂戴して有り難く昼下がりのビールを頂きました。《お下がりを頂けるのであれば、ビール缶はレギュラー缶ではなくロング缶にすべきでした。》IMG_1181IMG_1184

その後は、松田君と夕食を共にし、五十年間の思い出をあれもこれも語り合い、尽きることの無い語らいに夜は更けてゆきました。ビールしか飲まない松田君にくらべて、私は焼酎のロックを何杯頂いたことでしょうか、朧げな記憶では十杯を超えていただろうと思われます。来年の梅雨の頃には、縁《ゆかり》の人たちに声をかけて、博一君を偲ぶ会を催そうと意見が一致して、その折の再会を約して中村君墓参は終わりました。

翌朝早くに帰宅して、この記事を記しているのですが、暫くの間気掛かりであったことを一つ終え、安堵している茫猿です。安堵と云えば、一緒に旅をしたことが何度かある村山さんから絵葉書が届いていました。

数日前に、久しぶりにお顔が見たくて電話しましたが、応答はなく、留守番電話に残した伝言にも返事がなく、送ったSMS《short message service》にもRESがない日が三日も続いたことから、安否を気遣っていた村山さんです。齢八十を超え常は独り暮らしをなさっている村山さんですから、如何されたかと気掛かりだったのです。 葉書には、ここしばらくは、御子息やお孫さんたちと過ごしていますという近況が記してありました。近日中に酢橘や里芋をお届けしようと考えているのです。

《追記》
このように、彼と彼のやすむ墓地のことを思い出していると、何やら嬉しくも楽しくもなります。不謹慎と云われることを恐れずに言うのであれば、春は桜を眺め、夏は大文字を仰ぎ、秋は萩を愛でながら、冬ともなれば墓石に冠る雪景色にひたりながら、もう飲むことは無い彼ですが、彼の好きだったビール缶を片手に彼と語り合えると思えば、笑みが浮かんでくるのです。特徴ある包み込むような彼のバリトンが「どうだ、佳いところだろう。」と、耳の奥にささやいてくるのです。

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