つぼみ膨らむ

歳末が近いと云っても、昨日に変わらぬ今日を暮らす年寄り二人暮らしである。取り立てて何かをするわけでもない。賀状の準備でも始めるかと思うくらいで、今日に変わらぬ明日を待つだけの日々である。そんな歳末には、葉を落とした裸木に膨らむ蕾が目立つようになった。真冬はこれからだと云うに、すでに来春の準備である。

この春は花付きがイマイチどころかイマサンだった蠟梅《ろうばい、狼狽ではない》が、蕾を幾つも大きく膨らませている。あとひと月もすれば花開き、あたりに香りを漂わせてくれることだろうと楽しみにしている。20151214roubai

昨日は地元のお寺の報恩講が勤まった。一年間務めた年行事と称される、寺務雑用係の任期最終日でもある。早朝に幔幕を張り、お参り客へ湯茶の接待をし、時分になればお斎《食事》の接待をし、翌年度の寺務経常費の協賛額《事実上の割当額》を檀家各位に確認し記帳してもらえば、年行事の役目は終わりである。

学生時代からの友人であるNuitani君がFaceBookを始めたという案内がFBから届いた。FBがリストアップして案内してくれる仕組みは判らないが、たぶん同志社大学とか、年齢とかで近似点が多いとリストアップしてきたのであろう。さっそくに”友達リクエスト”を送信した。 その後に、Matsuda君にSMS《short message service》を送り、「君もFB登録をしたら如何ですか? Nuitani君の近況写真が見れますよ。」と報せたが、未だ登録した様子がない。

その折に、彼の近況を知ることができたのだが、「脊柱屈折」とかの病で、一ヶ月ほど歩くこともできなかったと聞いた。病院での投薬治療と鍼灸院での針治療という東西混合治療により、現在は快復途上にあると云う。機会を見つけて見舞うかとも考えるが、またひとり、酒が飲めなくなったかと思えば、伊吹オロシが身に滲むのである。

仙厓和尚の老人六歌仙より《意訳》」

皺深く しみ多くなり、 目はうとく足許ふらつく、
くどくなる、 気短になる、 愚痴になる、
思いつくこと  みな古くなる、
聞きたがる、 死にともながる、 淋しがる、
出しゃばりたがる、 世話焼きたがる、
又しても 同じ話に孫ほめる、
達者自慢に人をあなどる。

こんな思いにかられる時は、同志社大学創立者「新島襄」氏の言葉を拳々服膺するのである。これまた、再々掲であるが、遠い昔に学んだ《というよりも籍をおいた》京都は烏丸今出川に位置する赤煉瓦学舎創設者の遺した言葉であり、座右の銘ともする好きな言葉であるから、何度掲載してもよろしかろう。

我が校の門をくぐりたるものは、
政治家になるもよし、宗教家になるもよし、
實業家になるもよし、教育家になるもよし、
文学家になるもよし、且つ少々角あるも可、気骨あるも可

ただかの優游不断《優柔不断》にして安逸を貪り、
苟も《いやしくも》姑息の計を為すが如き軟骨漢には決してならぬこと、
これ予の切に望み、ひとえに希うところである。090811niijima1

軟骨漢という字を見ていて、何の脈絡もなく、鶏の軟骨は旨いな、しばらく食べていないなと思うのである。旨い地鶏を探しに出かけようと思えど、家人は稟議書を即座に却下することであろう。

鬼太郎シリーズや「総員玉砕せよ」を描いた水木しげるさん。妻の布枝さんがNHKインタビューでこう語る。「自然体の夫婦でラブラブな感じはありませんでしたが最高に幸せでした。この人に寄り添って今までこられたことに感謝しています。照れくさくてあまり言えませんでしたが『ありがとう』と言いたいです」 此の様に言える妻も幸せだが、言ってもらえる夫も幸せなことである。

十年に一度の見頃の年に当たると云う双子座流星群。昨夜と云うより今朝の二時頃、快晴の新月星空を眺めていたら一つ二つの流星を見た。もっと見ていようかとも考えたが、空を仰いでいるのは首が疲れるし、何より快晴の夜風は寒い。明日が最大値と云うから明夜に防寒準備をし茣蓙に座布団でも敷いてと考え眠ってしまった。今ほど空を眺めたら雲が厚い。またまた「明日有ると思う仇心」なのである。

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