未だ司法健在也

五年目の「3.11」を明日に控え、未だ司法の健在を示してくれる判決が出た。

『関西電力高浜原発3、4号機(福井県高浜町)の運転禁止を隣接する滋賀県の住民が申し立てた仮処分で、大津地裁は9日、「過酷事故対策や緊急時の対応方法に危惧すべき点がある」として運転を差し止める決定をした。決定は直ちに効力を持つ。2基のうち4号機はトラブルで既に停止中のため、関電は稼働中の3号機を10日に停止する。

決定は東京電力福島第1原発事故の原因究明が進んでいない状況を重視し、政府が「世界一厳しい」と強調する原子力規制委員会の新規制基準自体に「公共の安心、安全の基礎と考えるのはためらわざるを得ない」と疑問を呈した。』《中日新聞朝刊より引用》

この大津地裁仮処分決定に対して、産経ネットはこのように批判している。
『今回の大津地裁の決定には「なぜ高浜原発が安全でないか」について明確な根拠が見られない。「関電側の説明が不十分」とするだけで、何が何でも原発の「ゼロリスク」を求めるという自らが設定した安全基準を押し付ける内容で、原発の安全性を判断する基準となってきた最高裁判例を逸脱している。』

この運転差止仮処分決定に対して、関西電力は直ちに異議申し立てを提起するであろうから、福井地裁における運転差止仮処分決定、異議申立・仮処分取消の2015.04と同様の経過をたどる可能性も否定できない。

それでも福井地裁に続き、大津地裁でも差止仮処分が示されたと云うことは大きい意味があろう。司法の独立性もさることながら、3.11福島原発事故が示した原発の安全性についての根源的な疑問、経済効率性と未曾有の危険性を天秤にかける愚かさなどについて、少なからぬ裁判官が共有する認識をもっていることを示すものであろう。

この判決のなかには注目されるべき一節がある。原発規制新基準策定に向かう姿勢について述べている一節である。

有史以来の人類の記憶や記録にある事項は、人類が生存し得る温暖で平穏なわずかな時間の限られた経験にすぎないことを考えるとき、災害が起こる度に「想定を超える」災害であったと繰り返されてきた過ちに真摯に向き合うならば、十二分の余裕を持った基準とすることを念頭に置き、常に、他に考慮しなければならない要素ないし危険性を見落としている可能性があるとの立場に立ち、対策の見落としにより過酷事故が生じたとしても、致命的な状態に陥らないようにすることができるとの思想に立って、新規制基準を策定すべきものと考える。

3.11当時に繰り返された「想定外」を繰り返してはならないと云うものであろう。想定外と云う思考停止を繰り返してはならないと云うことでもある。繰り返して云う。3.11福島原発事故が示した原発の安全性についての根源的な疑問並びに経済効率性と未曾有の危険性を天秤にかける愚かさについて、思いを新たにすべきであろう。

蛇足に過ぎないけれど、「有史以来の人類の記憶や記録にある事項は、人類が生存し得る温暖で平穏なわずかな時間の限られた経験にすぎない。」との一節を別の表現に置き換えてみる。

地球誕生以来四十数億年の歴史などと云わずとも、日本列島が現在の様相を保つようになってからでも十万年単位の時間経過を伴っているのである。有史以来とはせいぜい千年単位の時間経過である。古墳にさかのぼっても三千年程度の時間が経過するのみである。この千年のあいだにも貞観地震《869年に発生した三陸沖大地震》があり、貞観富士山大噴火がある。富士山の最近の噴火は1707年の安永大噴火が記録されている。

しかも放射能の半減期は十万年単位の時間経過を要するものである。原発は一度事故が発生すれば終熄するまでに一万年十万年単位の時間を要するものであり、その復旧には計り知れないほどの金額を要するものなのである。

これに対して、電力会社や政府が主張するところの、電力供給の安定性とか経済性などと云うものは、たかだか十年あるいは数十年単位の時間軸を基礎とするものである。この秤量比較するのも愚かな時間軸の大きな違いを忘れてはならないのである。想定外ということは、この時間軸の根幹的な違いを無視すると云うことなのである。

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