見頃を迎えている我が鄙桜であるが、花に風のたとえのとおり曇り空で午後からは雨模様である。そこで我が鄙里陋屋の桜花あれやこれやについて語ってみる。
《染井吉野桜》何処へ出かけても見かける定番の桜である。種子をつけない桜であることから挿し木による増殖が一般的である。花色が鮮やかなことと、DNAを同じくすることから一斉に咲きそろうので、公園や土手の植栽樹として好まれた。好まれたから植木屋さんが増産に励み、結果として全国的に桜は染井吉野となってしまった。街路樹に銀杏が好まれた時期、サツキが好まれた時期、ハナミズキが好まれた時期がそれぞれに生じた背景と同じである。《増産、廉価、手頃、無難という背景がうかがえる。》 我が陋屋にも二本だけは植えている。
《寒緋桜》三月初旬の寒風に耐えて咲く寒桜である。我が鄙里では孫が生まれた時の記念樹でもあり、まだ若木である。
《大島桜》染井吉野は大島桜とエドヒガン桜の交配種だと云われる。山桜ほどではないが若葉が見え隠れしている。小指の爪先ほどの果実が実るので、実生で何本かを増やしてはいるが、親桜ほどの成木になるのはいつのことやら。《熟した実は少し渋いけれど甘味もあり、野鳥の好物である。》
《枝垂れ桜》こちらも若木であるが、今年あたりはいささかは観られるようになった。
《八重桜》染井吉野や山桜が終わってから咲き始める。鄙里ではまだ蕾である。写真は昨春撮影のもの。
《御衣黄桜》花弁が緑色の桜である。八重桜と同じ頃に咲く。鄙里の御衣黄は幼木でありまだ花を見ていない。今年あたりはと期待しているところである。写真は2013年に二条城前で撮影する。
《鄙桜》そして、茫猿が慈しんでやまない鄙桜《山桜》である。この桜は散り際に花弁の中央が紅く染まって散る。咲き初めの今は白い花びらである。
昨年の散り頃近く、葉の緑が濃さを増し花芯が桜色に色付いた鄙桜。まるで散るゆくのを羞じらうかのように花びらを染めている。 鄙桜が好きなわけは花弁とと若葉のグラデュエーションだが、この微かな色の移ろいも鄙桜を好きな理由の一つである。《山桜の実は小さくて渋い。》
ついでに述べれば、空が染まるほどの色鮮やかさで名高い信州高遠城趾の桜はコヒガンザクラ。巨木で名高い根尾谷の淡墨桜はエドヒガンザクラ。御母衣ダムの湖底に沈む村里から移植された荘川桜もエドヒガンザクラである。西行法師が庵をむすんだと伝わる吉野山の桜はシロヤマザクラである。
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