おの(己)が夜桜

世に名桜は数々ある。茫猿の住まいする近くでも、根尾の淡墨桜、長良の鵜飼桜、木曽長良背割堤の桜、墨俣犀川堤の桜、揖斐池田・霞間ヶ渓の桜、大榑川輪中堤桜などなど、挙げればきりがない。

それでも茫猿にしてみれば、桜は我が鄙桜に代えられる桜はないのである。四十年も前に我が手で植え、年毎に手塩にかけた桜ということもある。世に囃される染井吉野桜ではなく、やや遅れて若葉とともに白く咲き、やがて桜色に染まって散ってゆく山桜ということもある。

《さまざまの こと思ひだす 桜かな》(芭蕉)
《手をあげて 此の世の友は 来たりけり》(三橋敏雄)
《このさくら 去年(こぞ)のさくらも このさくら》(茫猿)
《花影や 幾多の顔の 浮かぶ宵》(茫猿)

鄙桜はまだ開いたばかりで、見頃は数日後である。この鄙桜をライトアップするのが恒例であるが《父母亡き後、3.11から、鎮魂の思いを寄せて》、土手にある桜をライトアップしても我が家からの眺めは然程ではないのである。自宅の外から眺めるクリスマスのイルミネーション飾りと同じことで、川の向こう岸からの闇に浮かぶ眺めがよいのである。

昼前では三分か四分咲きと見えていたのだが、照らしてみたら五分か六分に見える。例年ならば上枝(ほずえ)は八分くらいにならないと開かないのに、もう開いている。とにかく、今年は早い。そこで、今宵は苗木から若木に育ち、少しは見られるようになった枝垂れ桜も照らしてみたら、こんな具合である。たいした桜ではないが、我と家人だけの夜桜である。もっとも、誰も訪れることのない桜ともいえる。あと五十年もすれば魅せられる桜になるだろうし、百年もすれば少しは知られる桜になるかもしれない。

植樹するということは、こういうことなのであろう。知人がSNSにて還暦を越したから庭に目を向けるようになり、年に二、三本ずつ苗木を植えてゆきたいと語っていた。百まで生きるつもりかと、内心では突っ込んでみたけれど、木を植えるということは自分の為だけではないのである。自分の為というよりは後世の為なのである。
「桜守り 花見るときは 陰の人(石の下)」(詠み人知らず)

現代の名桜守り人佐野藤右衛門氏は言う「桜は、成長している最中は花があまり咲きませんのや。若い間は根をはり枝を伸ばし、大きくなることに力を使うんですわ。立派な花を咲かせるのはその後。人も一緒、花を咲かせるのは苦労したあとですな」

《また、かくも言う》 テレビやら新聞やら、「どこの桜がきれいですやろ」言うわな。きれいとか、きたないとかあんのか、言うねん、わしは。「そこの土地やから育つもの、そこで育ったものが一番きれいやぞ」ちうねん。

木の背丈と枝の広がる幅は人工的に調整できるねん。切ったりしてな。けど、幹が太るのと、根の張るのは止めようがないねん。絶対止められへん。それを考えて配植していかんと、大変なことになるねん。やっぱ最低百年先まで考えとかな、具合が悪いわな。そやからだいたい我々の業界というのは世襲が多いわな。昔から「三代つきあえ」言うわ。

《03/29 追記》今朝の鄙桜、よくよく見れば五分咲きというところか。

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