「鄙からの発信」が「忘れてはならない日」と題する記事を載せたのは、2006/06/23である。此の日は沖縄慰霊の日である。先の戦争で、国内唯一の地上戦が戦われた沖縄で組織的抵抗が終息した日である。組織的抵抗が終息した日というのは、降伏を許されなかった沖縄防衛軍司令官の牛島中将が糸満の摩文仁で自決した日が、1945年6月23日の未明とされているからである。此の記事で忘れてはならない日としたのは、沖縄慰霊の日 06/23の他に、いずれも1945年の東京大空襲の日 03/10、広島原爆忌 08/06、長崎原爆忌 08/09、そして終戦記念日(敗戦の日)08/15を上げている。
原爆忌 08/06、08/09については、「鄙からの発信」は「8/6&9&15」と題する記事を載せた2003/08/06以来、何度も記事にしてきている。2016/03/12には「忘れぬ日付」と題する記事を載せている。
1945.06.23 沖縄慰霊の日、1945.08.06 広島原爆忌、1945.08.09 長崎原爆忌、1995.01.17 阪神淡路大震災の日、2011.03.11 東日本大震災の日 の五つの日付をあげて記事にしている。
年齢を重ねるとともに忘れぬ日付が増えてゆくのも致し方無いことであろう。今朝は寝床でラジオ深夜便が流している広島原爆投下に関わる記録(ルポルタージュ)を聴きながら、事実と真実について考えていた。
「事実は、本当にあった事柄、現実に存在する事柄。 真実は、嘘偽りのないこと、本当のことを意味する。 意味は似ているが、事実はひとつで、真実は複数あると言われるように、事実と真実は異なり、一致しないことの方が多いくらいである。 … つまり、真実は人それぞれが考える本当のこと(事実)で、客観的なものではなく、主観的なものである。」
沖縄戦死者数・約20万人、広島原爆死者数・約14万人、長崎原爆死者数・約7万4千人、阪神淡路震災死者数・約6,400人、東日本大震災死者行方不明者数約18,500人、これらの数字はいずれも事実である。客観的な数字でもある。
しかし此の羅列される数字からは、死者一人一人の真実は浮かび上がってこない。死者一人一人には、それぞれの異なる人生が存在し、それぞれの死にいたる経緯があり死に際が存在する。同時に死者の縁に連なる人々にとっても、一つ一つの死は異なるものであり一つとして同じものは無い。
死者一人一人に、名前があり年齢があり親兄弟妻子があり、同じものは無い。死者への思いは千差万別様々であり、それぞれに主観的なものでもある。
罹災死者数として現される数字は客観的事実ではあるが、一括りに表示される数字からはその数字の背後に存在するであろう真実が何も見えてこないのである。歴史の事実となった数字からは何も見えず、見えているようで上滑りしているのである。事実の背後に存在する一つ一つの真実を見聞きすることから、歴史に確かに迫ることとなる。
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