朝から冬の冷たい雨が降り続いている。その氷雨降る朝に八朔の皮を剥きながら考えている。この八朔は父母がなくなってから取り壊した鶏舎の跡に植えた木に実ったものである。鶏舎を取り壊したのは2011/04であるから、八朔を植栽したのは2011年から2012年にかけてのことである。だから、植えてからまだ七年ほどである。その幼樹に今冬は30個以上の実成りがあった。正月にやって来た孫と八朔捥ぎ(はっさくもぎ)をしようと考えていたが、降った雪などに邪魔されて八朔狩りは為さずに終わった。
氷雨が降るから為すことも無く庭や雑木林を眺めていると、父母のことを思い出す。父母は今何処にいるのであろうかと思うのである。一番長く住まい、様々な想いを残しているであろう、この屋敷の何処かにいるのだろうと思える。とはいえ薄暗い仏壇にはいないだろう。今やすっかり模様も設えも変わってしまった、かつて住み馴れし部屋にもいないだろう。やはり、畑の何処かにか雑木林の何処かにかいるのが、我が父にも母にも相応しいと思える。
氷雨の季節の次には、今年もまた桜の時がやって来る。車椅子に乗る亡き母と眺めた桜の季節がやって来る。雨の日には古い記録を読み返している。鄙からの発信は「母の日」で検索し、「母の旅支度」は毎年五月の記録を読み返している。もう忘れかけている様々なことが記録から蘇ってくる。
様々に思い巡らしているうちに、2013/08の出来事を確かめたくなって「鄙からの発信」アーカイブや「母の旅支度」に続く憶え書き「晴耕雨読の日々」を開いて見た。この頃に前後して、二人の息子たちにそれぞれの転機があり、中村と村北の病状に大きな変化が生じた。それらを確かめたかったのである。
探していた”ナゴヤドーム”野球観戦「阪神・中日戦」の記事は何も残してなかったが、FaceBook 2013/08/25タイムランには「何の因果か、阪神中日戦!」との書き込みと写真が残されていた。この前々日に中村が病臥に倒れ、松田、飛田、垣東との四人で観戦予定のチケット使用者が一人居なくなった為に駆り出されての野球観戦なのである。彼らにしてみれば、はるばる京都から名古屋まで遠征しての三塁側(阪神側)観戦であるが、東海人の私にすればアウエイ感ある観戦である。ゲームの記憶も無いし、この後に夕食を共にしたはずだがそれも記憶に残っていない。
《ナゴヤドーム関連記録を探していて、”晴耕雨読”にこんな書き込みを見つけた。2013.07.25 曇り 時々雨》
母が亡くなって暫くして ふと浮かんだことがある。 母は今頃、亜希子に手を引かれて何処を歩いているだろうかと思ったのである。 九十になって腰が曲がった祖母の手を、四十近い亜希子が引いて歩いている。
その昔、三歳を待たずに亡くなった亜希子だが、祖母に嘗めるように可愛がられていたものである。 その亜希子が祖母の手を引いて歩いている後ろ姿が脳裏に浮かんだのである。 お袋は亜希子に出会ってどんな会話をしているのだろうか、大きくなったネーと言っているのだろうか、どうしていたと聞いているのだろうか。 あり得ないことだが、有り得ることのように思えたのである。
《四十近い亜希子が九十の祖母の手を引いて歩く姿はやはり想像できない。我が心象の中では三つの娘と九十の母が花筵の上で遊ぶ姿である。二人の生前の姿のままに、我が心象風景は停止している。》(2014/04/08記事掲載写真より)
《 あこ(吾娘)と母 遊ぶ影見る 花むしろ 》 (茫猿)
今思えば人が亡くなると云うことは、無くなることであり無に帰ってゆくことであろうが、残された者の記憶のなかには確かに生きているのであり、思い出として残っている。 何処かに生きているなど、あり得ないことではあろうが。
お袋が亜希子に会えるのであれば、岩崎の祖父母にも我が家の祖父母にも会えるだろうし、實夫にも会えるだろう。 でもお袋が会うことができるのは、我が記憶のなかの死者達に会えるだけであり、我が記憶のなかに生きていない者に会うことはないのである。
いわば我が記憶という劇場に生きている者達で構成される幻のドラマに過ぎないのだから、登場人物は限られるし、演じられる舞台も我が記憶という演出に委ねられている。 死者は生者の記憶に残る限りにおいて不滅なのだと云えるのだが、記憶する生者の死とともに、生者の記憶に生きた死者も消えてゆくのである。
土手の水仙は満開を迎えている。土手に球根を移植してから三年か?四年が過ぎた。土手の下方、川沿いの低い緑の葉列は昨秋に美しく咲いた彼岸花である。この冬の間に雑木林のなかの群落球根を掘り起こし、土手を一周して水仙の球根を植えたから、数年後に土手を巡って咲く花列が楽しみである。
氷雨降る朝はもの思わしい。妄想でも物狂おしくでもない。瞑想というほどのものでもない。もの思いに耽ける朝くらいがそれらしいか。いずれにしても益もなく埒も無い由無しごとばかりである。
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