桜に降る雨

昨日に続き今日も朝から雨が降っている。花を散らすほどの激しい振りではないが、二日続きの雨露は六分から七分に咲いた花を垂れさせている。今年の桜は晴れ間に恵まれず雨模様の日が多い。だからまだ陽光に映える桜を見ていない。

話は茫猿鉄道2020に変わって、せっかく押入れを取り壊し部屋を広げてL型に拡張したジオラマだけど、元の島型に戻した。L型拡張部分の基礎がやや軟弱且つ若干の高低差が生じたせいもあり、Lの内側カーブ部分の走行が何度調整しても滑らかにならない。脱線や走行不良を引き起こしてばかりなのである。

そこで、L型拡張部分を撤去したのである。押入れの取り払いにより、島型ジオラマの四囲には余裕ができて、日常の管理にも孫たちが四方から眺めるにもゆったりしている。走行不良を調整しながら、こんな風に考えた。私好みのジオラマよりも、孫たちが楽しく遊べるジオラマが良いのであり、ギクシャク走るジオラマでは興を削ぐことこの上ない。当初の目論見通り、何よりも走り優先が良いのである。

現在の第八期ジオラマの制作を始めたのは2020/01/13のことである。その前、第七期ジオラマを解体したのは2014/10/09、その制作を始めたのは母の死後、日も浅い2010/08/30のことで、完成したのは2010/10/22と「鄙からの発信」には記されている。

母親が亡くなって様々な後始末も一段落した頃に、長年の夢だったHOゲージに手を染めたのが2010年7月か8月のことだった。従来のジオラマを応急的に拡張したHOゲージ線路は路盤がヤワで転落事故を起こす始末だった。第六期ジオラマを解体し第七期ジオラマの制作を開始したのが2010/08/30である。2010/09/25には、『SL:C62 (ダイキャスト製 カンタムサウンドシステム搭載)』を入手している。

今から思えば、母を亡くして新盆が過ぎたばかりで、父の老化も目だってきた頃のことである。何を考えていたのだろうかと今更ながら訝しい。2010/10/31には鑑定士仲間を集めてHOゲージ・ジオラマの披露を兼ねた芋煮会を開いてもいる。多分、今よりは随分と若かった、社会的な活動も多く、つながりも大きかった。だから母亡き後の虚しさも、父の介護の愚痴も、そればかりに過ごしてはいなかった。喜怒哀楽悲喜交々の日々を過ごしていたのだろう。

雨が止んで雲間からさす陽射しに映える今日昼過ぎの鄙桜、八分咲きくらいか。右が大島桜、左が山桜(鄙桜)である。花芯がほの紅いのが大島でほの緑が山桜である。大島桜は風に乗せて香り立つ花である。咲き始めれてみれば旬日、せいぜい二週間ほどの桜花である。
 

アーカイブから2010/03/29付けの「鄙櫻2010(10.06.21最終更新)」記事を読み返している。写真に残る当時の桜も記憶に残る桜も、何故か今より美しく思える。此の年は2010/04/08が満開の鄙桜だった。

母がこの桜を眺めて「キレイに咲いたね」と言った記憶が二度ほどある。一度は点滴通院の帰り途に車椅子の上から眺めた時、もう一度は洗い物に流しの前に立つのも億劫だっただろう頃に台所の窓越しに夜桜を眺めた時である。父が何かを言ったという記憶はない。父も眺めてはいただろうに、何かを言ったという記憶が無いのである。私は母の病状で手一杯で、父と桜について何かを語り合ったという記憶も記録も無いのである。母は無論のこと父にしても此の時の桜が見納めの花だった。今宵から暫くの間はライトアップして両親だけでなく、今や多くなった亡き人たちへの手向けの夜桜とする。

 

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