令和の変

新元号”令和”は後々の世において、「令和の変」として語り伝えられることであろう。新元号は史上初めての国書典拠(730年頃)と囃されているけれど、一部のマスコミやネット世界では後漢の詩人張衡(78~139)の「帰田賦」に典拠とか、書聖・王羲之の「蘭亭集序」(353年)典拠などと喧しい(かまびすしい:騒々しい)。

安倍内閣は初の国書典拠などと浮かれているが、元号制そのものが中国古代王朝に由来するものであり、元号を表す”漢字”は名の如く”漢”(中国古代王朝)より到来するものであることをお忘れなのである。

それもこれも安倍総理のはしゃぎ過ぎがもたらしたことである。元号が天皇制と不即不離の関係にあることは云うまでもない。一世一元の制度が整えられたのは明治天皇以降であるが、古来に於ける元号は天皇による暦(時)の支配を意味していた。農耕(稲作)が国政の根幹であったから、籾の種蒔きに始まり、田植え刈取りなど稲作にまつわる全ての農事が暦に基づいて行われていた。田の神さまを山より田に迎える正月から毎年の稲作は始まるのである。

古代においては、この暦を支配する統治者が天皇であった。そして天皇制と農事暦が直結しなくなっても、つい最近まで、伊勢神宮などが配る暦の多くを占めているのは四季の農事であった。(部分的には現代においてさえも、伝統行事と農事と暦は結構結ばれている)《インカ文明でも、エジプト文明でも、黄河文明でも、暦を支配するものが国を統治した。》

また、最初の元号大化(645年)が大化の改新として記憶され、後醍醐天皇が建武の新政として記憶されるように、近くは明治維新として一つの時代あるいは歴史的事実が元号によって語り継がれている。つまり、元号の背景には天皇制が存在し、かつては時を司るものとして天皇が存在した。現代の元号にはそのような治政的あるいは呪術的な背景は無くなり、象徴天皇制の一つの代を総称する伝統的なものである以上でも以下でもない。

安倍総理が長々と談話を発表し、国書典拠を必要以上に(実は誤って、あるいは意図的・恣意的に漢書典拠を隠して)言及したことが問題なのであり、著しい政治利用なのである。戦前であれば「不敬罪」に問われかねないことなのである。『安倍総理談話

それだけなら、まだ許されるかもしれない。しかし総理は四月一日の午後0時5分より首相談話発表の記者会見を行ったのち、(3時3分)日本テレビの報道番組の収録。(4時7分)産経新聞のインタビュー。(5時36分)テレビ朝日報道番組に出演。(8時8分)NHK報道番組とテレビ出演のハシゴをするのである。一週間後に統一地方選挙投票日を控えての元号・マスコミジャックは政治利用そのものであろう。

だから平成最後のエイプリルフールに起きた「悪しき改元」、「悪しき政治利用」として「令和の変」は語り継がれることであろうと思うのである。 ハシャグ総理を苦々しく眺めておられるであろう方は、象徴天皇確立に全身全霊を捧げられた平成天皇であり、父君の想いを全力をもって継ごうとされる令和新天皇なのであろう。

《今朝の鄙桜は昨夜の雨に洗われて、世事などとは関わり無く清々しい》

こうして平成31年春の桜も散り始め、またひとつ季節が過ぎ時が移ろいゆく。茫猿七十五の春も過ぎてゆく、令和の桜も変わりなく眺めることができようかと、ふと思う。梅も良い香り良く、寒風のなか凛とした姿も良い。でも春の陽気のなかに花とともに時の移ろいを楽しむ、桜の長閑さには及ばない。

今再び山家集(西行)より三首
《願はくは 花のしたにて 春死なん そのきさらぎの 望月の頃》
《花に染む 心のいかで 残りけん 捨て果ててきと 思ふわが身に》
《仏には 桜の花を たてまつれ わが後の世を 人とぶらはば》

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