『れいわ新選組』を応援する記事を、06/29以来、アップし続けている。山本太郎とその仲間達を、記事にし続けていると、様々なことを考えさせられる。どうしてここまで、日本という国が劣化してしまったのかと考えさせられる。
政治家が姿を消し、政治屋ばかりが跋扈する。経済は一流、政治は二流と持て囃されたのは三十年も前、今や政治も経済も三流へ。マスコミからはジャーナリズムの気概が消え失せた。都会の駅前は何処も彼処も同じ顔、田舎のロードサイドも同じ顔ばかり並ぶ。こんな日本に誰がした。
日本が劣化したというのには異論も存在するであろう。しかしながら、『れいわ新選組』が掲げる政策を眺めていると、この十年間に顕在化してきた日本という国の多くの矛盾が示されているように見えてくる。
◉逆累進課税である消費税は廃止
◉国家サラ金である奨学金チャラ、555万人を奨学金徳政令で救う
◉全国一律!最低賃金1500円を政府が保証
◉真の独立国家を目指し、米軍地位協定の全面改定
◉沖縄・辺野古基地建設中止、普天間即時の運用停止。
◉特定秘密保護法、安全保障関連法などのトンデモ法一括廃止
◉原発即時廃止
安倍晋三氏とその一派が日本をここまで劣化させた。表面的、現象的にはそうかもしれない。そう見えるかもしれない。しかし安倍氏が総理大臣に復帰したのは2012年12月26日、その日以来6年余が経過したのみである。わずか六年余りの日々で、ここまで日本の劣化が進むものであろうか。
そう考えたときに見えてくることがある。それは大日本帝国が連合国に無条件降伏した1945年8月15日を「終戦の日」と言い替えて、現実を糊塗し続けてきた”敗”戦後日本社会の在り方の”誤ち”である。
大勢迎合主義といったら言い過ぎだろうか。合理的思考を大切にし、合理的思考を突き詰めることを何処かで放棄してしまう、日本人のある種の無責任事勿れ思想が戦争を引き起こし、ひたすら拡大し、そして敗戦にまで至ったとも云える。
只々、国体護持にこだわったが為に、戦争末期の一年間に飢餓と病気と空襲と原爆で実に多くの戦没者を出すに至った、戦争責任が問われないままに七十年を過ごしてしまったことのツケが、今にして廻ってきているといえる。(国体護持とは当時の体制維持であり、天皇制護持と言いながら、その実、軍と官僚に代表される当時の支配階級の現状維持が国体護持の実質的中味である。)《この項の「鄙からの発信」初出は、2001/08/16》
挙句、敗戦の日を「終戦記念日」と言い替え、占領軍を進駐軍と呼び、今日に至るまで対米従属構造を続けている。敗戦という事実と正面から向き合うことは、戦争責任と正面から向き合うことに他ならない。敗退を転進と言い変え、敗戦を終戦と言い変え戦争責任をなおざりにしてきた結果が今日の欺瞞を招いている。
自分の頭で考えて、情緒に流されず合理的思考を追い求め、孤立することを怖れない。少数派になることを恐れないと同時に、少数意見を大事にし尊重する。「現実は・・」とか、「仕方がないだろう・・」とかいう、情緒的問答無用論を振りかざさない。そして、責任の所在を明らかにし、自己の責任を正しく自覚する。
「物事の黒白が決着することを厭い、曖昧さの中に先送りすることを選択したがる。そんな考え方は無責任であり、恥ずかしいことなのだ。」と考える人々は、今や絶滅危惧種になってしまった。
《追記》盆暮れに何も届かなくなって久しいが、今日は嬉しい到来ものがあった。素麺の特級品黒帯しかも『ひね』。「ひね」とは、年越しをして熟成させた素麺である。早速に辛味の強い夏大根の下ろし、薬味に青シソ、刻みシシトウ、刻みミョウガで頂く。
本日は梅雨空が戻り、時に篠突く雨模様である。『れいわ新選組』を応援し吠え続けて何日目だろうか、吠え疲れた。しばらくは休憩する。
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