書くことも無く”旅支度”

 連日 記事をアップすると誰かに約束したわけでは無いけれど、連日のごとく『れいわ新選組』関連記事をアップしている。さすがに連日ではネタが尽きてくる。『れいわ新選組』は東京では野原候補を中心に熱く闘っている。浜松や豊橋では馬ユーゴンと”やすとみ歩”候補が優雅に闘うというよりも舞っている。

『れいわ新選組』山本太郎の密着映像
『馬とやすとみ歩候補』    『やすとみ候補のスリラー』
 「やすとみ候補のスリラー」は、やすとみ候補のまわりにゾンビが集まってきて何が始まるかと興味深く見て下さい。途中で閉じないように最後まで見て下さい。約4分間のキレッキレのダンスが見れます。銀座のホコ天で(自民党)丸川候補の旧態依然の桃太郎行列の後で、MJのスリラー・ゾンビとは、こんなのありか!!    何より完成度が高い。

 茫猿は鄙里にて生け垣を刈り込んでいます。総延長約50mの珊瑚樹の生垣です。所々、マキの苗を補植しています。刈込みは年に一回行います。昨日は雨模様だったので、午前九時ごろから午後二時頃まで、電動バリカンと剪定鋏での刈込み、そして刈り取った枝葉の後始末掃除と頑張りました。とても疲れました。来年は二日に分けて行います。

 父母が亡くなってから九年が過ぎ、いつの間にやら死者が遠のいているのに気づかされると、先々号記事に記した。父は病床に居ること二日だったから、病床の父の顔を思い出さないのに不思議はないが、母の病床にいる顔を思い出さない。茶の間に起きてくる事もなく、ほとんど病床に横たわるようになり亡くなるまで一ヶ月ほどの顔を思い出さない。

 日に日に痩せていった顔を思い出さない。思い出さないというよりも憶えていない。写真も一枚も撮っていない。撮ろうと考えもしなかった。痩せてゆく彼女を正視することがとても辛くてできなかったから、憶えていないのだろうか。

《以下、母の旅支度(介護日誌)より抜粋》
2010.04.18 08:10 (晴れ、無風) 
 お袋さんの様子を見にゆくと、起きるという。介助して茶の間へ連れてくるのだが、抱え起こすと折れそうに細くなったし、足許も覚束無い。 なにくれと、あれこれと、取り留めもない話を聞きながら朝飯を食べる。 お袋さんは薬を服用しお茶を飲むだけ、マスクメロンとマンゴを見せて食べるかと聞くのだが、顔の前で手を横に振るだけである。

2010.04.19 05:30
 母の呼ぶ声が聞こえたので、部屋を覗くと背中を中心とした痛みを訴え、救急車を呼んでくれと言う。西脇医師に連絡し状況を説明すると、救急要請し事前に渡してある診断書を提示するようにとの指示を受けて救急要請する。

2010.04.22 16::00 (一日中、雨)
 朝食をすませて(見舞いに来ていた)次男と病院へ向かう。次男はずっと祖母に付き添い、トイレや水飲みの介助などをしてくれる。 特に話をすることもなく、眠っていることの多い祖母の傍らで見守る半日である。 いつまで居てもきりはないし、忙しいだろうから早く島へ戻るようにと何度も祖母が言うことから、名残惜しそうだったが13時半頃にタクシーで大垣駅へ向かう。これから名古屋経由で豊島へ帰って行く。

 寒いというお袋さんに肌着を着せる。とても正視に耐えないくらい、折れそうなほどに痩せてしまった腕を肌着の袖に通しながら、掛ける声さえ失ってしまう。

2010.04.23 21:45  
 母に退院予定を告げたら、「帰えれるのだね」と、とても嬉しそうな顔をした。明日にでも帰れそうなことを言うから、土曜日曜は病院で過ごし、帰るのは月曜日だと言えば、なぜ直ぐではないのだと残念そうでもあり不服そうでもある。 抗生物質投与が効いているのであろう、お袋さんの顔色は良くなっているが話し声は小さくてかすれている。

2010.04.27 02:15  
 あまりに静かだから心配になってお袋さんの部屋を覗いたがぐっすりと眠っていた。熱が無いかと額に手を当てたら、薄目を開けたがすぐにまた眠った。 自分のトイレを済ませ茶の間で水を飲んでいたら、座敷の廊下でコツコツと音がする。 驚いて飛んでいったら、お袋さんがトイレに行こうと杖を突きながら歩いている。慌ててトイレ介助する。 

 驚いたなァー、でもとても嬉しかった。まだトイレまで歩こうとする気力がある。これも帰宅したおかげだろうかと思う。 だけど、帰りは駄目だった。 立てないし支えても歩けないから這ってゆくというのを、有無を言わさず抱きかかえてベッドまで運んだ。

2010.04.27 21:30  
 長男よりその後の経過について問い合わせの電話有り 「葬儀は生者のエゴが反映するものであるが、死に至るまでの期間の過ごし方も生者のエゴが左右する。」

 厳しい表現だが、まさにそのとおりである。チューブ人間と化していても生かしておきたい(生きていて欲しい)と願うも生者のエゴならば、可能な限り常態を維持しつつ死を迎えさせたいと願うも生者のエゴと言われれば、まさにそのとおりである。

2010.04.29 8:30 (夜明けに風雨強し、今は曇り空、室内気温16度)  
 母にお茶でもどうだと尋ねると茶の間にゆくというので、車イスに乗せて茶の間に行きお茶を一口飲ませる。入院中に買い換えたTVを「大きなテレビだねぇ」と言いながら、TVを見るともなく眺めながら、父と何やら会話にならない会話をしている老夫婦。

 医者にどんな告知を受けようとも、茶の間に出たいという望みを聞けば、回復の兆しかと先行きに希望を持つ自分が居る。 茶の間から庭先のカエデやハナミズキ、牡丹、ツツジを眺めてきれいに咲いたねと言う母がいる。

2010.04.30 03:00  
 息子たちと治療方針について電話で話しているときに、私の考え方を説明するキーワードを探していたが、なかなか見つからなかった。それを昨日ケアマネージャーと話していると、彼女が説明してくれた。 「あなたは尊厳を考えているのですね。」と言われたのである。  

 そう尊厳である。辞書には「the dignity of man」とあった。 ひたすら生命体としての生存に重きをおくか、人としての尊厳を保った生存に重きをおくのかということである。 両者に明確な線引きは無かろう。

《2019.05.08 20:00頃 永眠 享年89歳7ヶ月》

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