「何を遺して逝くか」と言っても、今日明日にどうこうという訳ではない。先日さる会合というか行事というか、さる催しで出逢った方との会話の成り行きなのである。
その方は茫猿(筆者)よりは三周りくらい若い方であるが、癌で苦しい闘病生活を送ったという、術後五年を経た今は体調も安定し寛解といってよい状況と語る。発病前後に父親を介護し送ったとも語る。
その二つの経験を踏まえて、その方は死に方生き方について語る。父を見送った時のターミナルケアについて、ケアとは「気に掛ける」、「心がける」ことであろうと言う。そして送られる者は周りの者に辛い思いを残さない。楽しい思いだけを残してゆけば良い記憶が残る。 3人に1人ががんで亡くなる時代に、病を抱えながら最後まで自分らしく生きるにはどうすればいいのかなどと。こんなにも若い方とターミナルケアについて語り合うなんて初めての経験だった。
愚痴をこぼすことなど無かった父と母を思い出す。入院は嫌いで住み慣れた家で最後を迎えたいと願ったふたりだった。父は「大丈夫だ頑張っている」と言って、最後まで我が家で過ごした。母は「幸せ過ぎて、まだ死ねない」と介護ヘルパーさんや見舞い客に言っていたと聞かされたが、そう語ってひと月もしない内に、我が家から旅立った。
既に多くの友や縁者を見送り、その間際も見させて貰った。茫猿にしてからが、脳梗塞の既往症があり、糖尿病と高血圧と血液凝固防止の薬服用が欠かせない。帯状疱疹後遺症:神経痛と水疱性類天疱瘡:自己免疫疾患にも悩まされている。
老人特有の病気自慢という訳ではない。そういう疾患に悩みながら死に方は生き方であり、良き思い出を残すには真際になって慌てても無理なことであろう。まだまだ先があると元気なうちに好い生き方を心がけねばと思っている。
特別定額給付金の支給案内が町役場から配達されてきた。申請書を書きながら考えた。申請書には既に世帯主名のフリガナが印字されてあり、世帯全員の氏名と続柄も印字済みである。しかも振り込みに使用する銀行口座は原則として世帯主名義の口座である。
世帯主が世帯員全員を一括申請して世帯主口座に振り込むなんて、なんだか前時代的な家父長制みたいである。世帯主が誰にも知らせずに秘かに申請すれば、世帯主総取りも有りである。老夫婦(爺が世帯主)若夫婦子供:3世代6人家庭なら、爺が六十万円を総取りである。揉めはしないだろうかと、要らぬ取り越し苦労をしてみる。役場の文書発信元はなんと”危機管理課”である。《我が家では爺ならぬ婆が横取り》
話は変わって、母の遺した石斛(セッコク)が今年も花を咲かせた。母逝きて十年、十年間絶やさずに世話ができたことを謝して合掌する。
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