桜土手そして桜守り

 昨年の初夏の頃に我が鄙里の鄙桜(ヤマザクラ)と大島桜の実を収穫し、果肉を洗い流し種子だけを冷蔵してありました。この年越しの種子を三月初めに苗床に蒔きましたところ、ほとんど全ての種が芽吹きました。今では大きな苗木は50cmを優に越えるまで成長しています。

 殆ど全てが芽吹いたことから桜の苗木が30本以上もできたので、この苗木をどうするかと考えていました。我が家の敷地は東を中江川、西を西江川、北側は道路となって三角形の地形ですが、東側の中江川沿の土手には鄙桜をはじめ大島桜、八重桜などが植わっています。(2019/04/06撮影の中江川沿の土手、鄙桜と大島桜)

 ですから、東側の土手には桜苗木を植える余地はほとんど有りません。精々、枯れた後の補植用に数本残しておけば宜しいでしょう。西側の土手沿には何も植えていませんが、土手から少し控えて緋寒桜や御衣黄桜それに大山桜などが数本植わっています。これらの桜も植栽してから七、八年が経って、土手側にある従来からの生垣と枝が交差するようになり、風通しが悪いことから病虫害のおそれも出てきました。

 それやこれやで思い付いたという訳です。西江川沿いの桜の邪魔をしている生垣を短く刈り込むか伐採して、桜土手に変えよう。せっかくの苗木を土手沿に植えて、桜土手を作り上げよう。今既に緋寒桜、御衣黄桜、大山桜が植わっており、昨年くらいからそれなりの花を付けていることから、後数年、せめて十年もあれば、それなりに見られる桜土手になるだろうと考えたのです。

 敷地の西側、西江川沿を今までなぜ修景してこなかったかといえば、長らく戦後の負債ともいえる土手法面を利用する簡易造の建物が西江川西側に存在し、平成年代になってからも空き家のまま朽ちながら建っていました。川に背を向けた建物というものは、川側から見れば恥部というか汚部を眺めさせられるもので、我が家からは目隠し的な生垣を西江川の東側土手に作ってきました。(西江川の様子、写真左側が我が鄙里の西側西江川沿いの生垣 2014/09撮影、ストリートビューより)

 ところが、昨年中に上掲写真の建物は全て撤去され西側道路からの見通しも格段に良くなりました。そこで我が鄙里も新たな修景作業が必要になったという次第です。自らの年齢を数えれば、今から桜苗を植えてどうにかなるというものでも有りませんが、今ある桜の環境を良くするだけでも意味あることです。(この春の御衣黄桜、2019/04/12撮影)

 まして数年後に若木が花を付ければ、それはそれで意味あることでしょうし、更に二十年後、三十年後を考えれば、今 修景を始めるに遅いということは無かろうと思えるのです。夢想ついでに云えば、百年後に様々な桜の土手が、緋寒桜、河津桜、大山桜、大島桜、山桜、御衣黄桜と次々と花を咲かせてくれるとすれば、それはとても楽しいことです。

 これから死ぬまでは無理としても、元気でいるあいだは「桜守り」を続けてゆく、そんな残日の日々も悪くないと思っています。 『願はくば 花の下にて 春死なむ その如月の 望月の頃』(西行)  桜守りが 花に抱かれて 旅立てるとすれば それ以上何を望もうや。

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