長崎と平戸の旅を終えて帰りきた鄙里は、まだ桜が残っていた。伊吹山も薄く雪化粧していた。花冷えというには寒すぎる気象である。畑を見廻っていたら御衣黄桜が咲いているのを見つけた。
京都二条城付近の堀川端で御衣黄桜を訪ねたのは2012年4月23日のことだった。長年、京都に住みながらまだ見たことがないという中村たちと御衣黄桜を探したのだった。
春の和菓子を思わせるような臈たけた花ぶりの我が御衣黄桜である。
数えてみれば、あの花見から既に七年が過ぎ、中村が逝ってからでも、もうすぐ四年になる。様々なことを思い出す桜であるし、花かげには博一も村北も武田もそして父母の笑顔も浮かぶのである。
今三たび山家集(西行)より三首
《願はくは 花のしたにて 春死なん そのきさらぎの 望月の頃》
《花に染む 心のいかで 残りけん 捨て果ててきと 思ふわが身に》
《仏には 桜の花を たてまつれ わが後の世を 人とぶらはば》
もう一首(詠み人知らず)
《植え置きし 人なき宿の 桜花 匂ひばかりぞ 変わらざりける》
日本最西端の「たびら平戸口駅」を訪ね終えてみれば、またひとつ一里塚を数え終えた気分である。次は何処を訪ねようか。旨いものに出会える旅と鉄道ということでは、能登鉄道で岩牡蠣、三陸鉄道で老海鼠(ホヤ)ということになろうか。明日香に藤原京、山の辺の道歩きも秋には悪くない。
義姉へ見舞いを送った。父の末の妹(1927年生れ)へもお見舞いにと長崎のカステイラを届けたら、”デイサービス”に行っているとのことで会えなかった。寒いうちに室内で転び骨にヒビが入ったとのことである。
ふと母のことを思い出す。スーパーで買ってきたマンゴを「美味しいね」と笑顔で食べてくれたから、しばらくして岐阜へ出かけた時に、”大熊果物店”で太陽のマンゴを買ってきたら、一匙 二匙口に運び後は見るだけだった。母の妹にも、しばらく会っていないから、近いうちに見舞ってこよう。彼女も八十半ばである、ぼちぼち先送りは禁物だろう。
《2019.04.13 追記》今年の鄙桜はもう葉桜になりつつある。4/6の頃は白さも白しだった鄙桜は、花芯を桜色に染めて多くは散り、残る花もしづ心なく風に舞っている。 ”植えおきし 鄙なる里の 山さくら わが後の世も 匂い香らむ”、 変わらず次の春も咲いてくれるだろうと願う。桜に代わり、血汐カエデと三つ葉ツツジが初夏並みの陽光に色鮮やか。
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