2001.05 茫猿は網膜剥離で緊急入院を余儀なくされ、その入院中に鄙里の池では水漏れ事故が発生し、池で飼育してた錦鯉数十匹が可哀想なことに枯死してしまった。 その後、水漏れ防止対策がはかばかしく進まずに、再び鯉を飼うことはなく十数年が過ぎた。
2014.03 池の水漏れ対策がやっと出来上がり、再び錦鯉を放流したのである。しかしながら、この十数年のあいだに我が鄙里には、青鷺が飛来するようになり、江川には川鵜が漁猟をするようになっていたのである。鄙池に放流した鯉たちは哀れなことに、数日をおかずして青鷺や川鵜の餌食となったのである。
慌てて、池の周囲に網を張り、池の上には鳥除けの糸を張る対策を施したのである。半数以下に減っていた鯉は、しばらくは安泰であった。 でも、ひと月もすると青鷺や川鵜は網や糸の隙間から池に入り込むことを憶え、一匹また一匹と水面に浮かぶ鯉の数が減って行ったのである。 そして翌年の春、つまりこの春には、泳ぐ鯉の姿が見えなくなってしまったのである。
錦鯉は水面に浮かぶうえに赤や黄色の目立つ姿をしているから、野鳥の眼に留まり易いし、野生の魚ほどは俊敏ではないから、致し方ないと云えば致し方ないことでもある。野鳥対策をさらに厳重にすることも考えないではなかったが、網や糸で囲うことだけでも野暮ったいことで風情に欠けることである。
そこで、野池は野池のままにと考えたのである。いずれ川から登ってきた鮒などや、野鳥が足に付けて運んできた卵が孵化した生き物も増えてゆくであろう。雑木林のなかの野池に錦鯉などは似つかわしくないだろうと、やせ我慢半分に考え至ったということである。
野鳥対策の網や糸を取り除くには、池の水位を下げなければならない。それには、江川の水位が下がり水中ポンプで排水がし易くなる秋半ばまで待ったのである。稲刈りが始まるこの頃ではヤブ蚊もいなくなったことから、昨日のこと、池の水を排水して周囲の防鳥対策を除去したのである。
鯉こそ居ないけれど、網も糸も、それらを支える杭も無い鄙池は、やっと本来の姿を取り戻せたと考えている。そのうちに雨水が溜まり、池の水位も戻ってゆくことであろう。池の上に枝を張る楓が赤くなる来月の末くらいには、錦鯉の代わりに水面には紅葉が散っていることであろう。
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