昨今、自民党、民主党の国会議員やら国務大臣も含めて流布した言葉に「良いマルチ商法と悪いマルチ商法」という言葉がある。
法的な定義はマルチ商法とネズミ講は異なるものであり全く同じではないし、ネズミ講は違法行為であるがマルチ商法には違法とされない行為もある。でも適法とされるマルチ商法もグレーゾーンに位置するものであり、商行為的には違法スレスレ行為が多いのが実態であり、国会議員が顧問や役員を務めてよいという類のものではない。 仮に役員や広告塔を務めたとしても、その行為に違法性の有りや無しやについて万全の注意を払うのが当然のことであろう。「浜の真砂と悪事の種は、世に尽きまじ」と云うではないか。 良いマルチ商法などという表現は言葉のすり替え、言葉の綾にしか過ぎないのである。 実態・実相を見ない三百代言というべき類のことであろう。
言葉のすり替えと云えば、グローバリズム、金融資本主義、規制緩和、新自由主義といった、この二十年来世に流布してきた「曖昧にして不確実な言葉」の化けの皮というか実相が次々と明らかにされつつある。
サブプライム問題に端を発した金融危機というものを日本語として簡明に云えば、クズ債権(ジャンク債)を集めた上で良質債権に紛れ込ませることによりリスクを分散し、リスクの存在すらも不透明にしてしまった証券化経済行為であろうし、さらに互いに信用保証を与え合うことにより「赤信号皆で渡れば怖くない」状態にしてしまったということであろう。
それが、CDS(Credit default swap)なのであろう。これは金融ネズミ講そのものではないか。無限に信用保証の連鎖が続くことは有り得ないし、無限に住宅価格上昇が続くことも有り得ないという自明の定義を忘れた結果なのである。
1998年に「ロング・ターム・キャピタル・マネジメント」が破綻した時に、LCTM経営陣にノーベル賞受章者がいたことが大きく話題となった。彼等が構築した金融工学理論の前提のなかにはカントリーリスクが取り込まれていなかったことなど数学と社会科学の前置条件の差異が話題になった。 今回も同様のことが云えるのであり、精緻な金融工学理論をもってしても破綻リスク係数の前置を忘れたり誤れば破綻を招くと云うことであり、何よりも実態経済を乖離したゲーム理論というものは、所詮はバーチャル(仮想)なものであり、実物経済を離れた仮想経済など有り得ないという教訓であろう。
いわば生活する生者が実存してこその生命保険なのであり、仮想人間の為の生命保険などゲーム以外の何物でもなく、そのような仮想生命保険が蔓延する経済社会の不健全さというものに思いが至らなかった故の結果なのであろう。 精緻な金融工学もクラッシュ心理の前では無力だったということである。 もちろん、その前に倫理観を置き忘れた経済行為は破綻せざるを得ないということでもあろう。 カタカナやオドロオドロシイ難解な言葉に惑わされてはならないという教訓であり、本質を覆い隠す言葉のすり替えには注意したいというのも得られた教訓である。
REITに関わる鑑定評価問題もこの類の事柄が等閑にされた結果と云っても言い過ぎにはならないであろう。 『DCF法の採用は鑑定評価の精緻化』といった手法の本質を等閑にした言葉の置き換えに端を発している。 多くはリスク係数を前置することを忘れたか、意図的に小さく置いたか、十年未満の収益期間満了後の売却価格の精緻な検証不在などといった結果が招いたことと言ってもよいであろう。 何よりもDCF法が本質的に内在させている問題点、則ち手法の本質は投資家の判断材料提供という特性、一見精緻に見えるがその実多くの係数の相乗値としての試算結果、必要経費はおろか賃貸収入すらその詳細資料や積算根拠の開示が得難いなどの課題が露呈したまでのことであろう。
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