標題の輪廻は宗教的な意味で云うのではなく、「うつろい」あるいは「巡る」といった程度の意味合いである。
茫猿には成人した息子が二人いるのだが、二人の年齢が三十に近づくにつれてやや深刻な悩みを述懐するようになった。仕事観とか人生観あるいは将来設計といった類のことである。
最近も兄が、ラオスのルアンパバーンや、タイのハイ島とかいう聞いたこともないリゾートに一週間ほど滞在してきたようである。親から見れば贅沢極まる話であるが、東京とはあまりにも速さが違う時間の流れは、余計に彼の悩みを増幅したようである。
先週の日経ビジネスは現代版モダンタイムズという特集をしている。
壊れゆくサラリーマンというタイトルからしてもの凄い話である。
例えば、成果主義の導入は、能力のある者もそうでない者も一様に「結果」に縛られ、ストレスが極大化していく。制度のために1人の社員が何人もの監督者に監視され、ストレスが乗数的に拡大する。社員を厳格に管理し、ストレスを積み増すことだけが経営ではないはずと云う。(日経より引用)
さて、それに引き替えて親の茫猿は日毎に、悠々自適に近づいてゆく。いやいや悠々自適には相当遠く、精々のところ晴耕雨読くらいであろうか。
公職はとっくにリタイア、鑑定協会の役職にも久しく就かず(新スキーム委・第三WG座長というものがあるが、これはものの弾みである。)、業務は縮小過程にあり、ロータリークラブも六十歳と二十年在籍を機会に辞めた。そこには一つの輪廻を感じる。親父が身軽になり悠々自適に近づくにつれて、息子達は修羅の道に近づいてゆく。 修羅の道と云って悪ければ、背負う荷物が多くなり坂道の上り下りが険しくなってゆく。
これを称して、輪廻と云い、うつろい巡ると云うのである。モラトリアムが終わりつつある息子達を少しばかり醒めた目で眺めてみたり、君たちも青春の季節が終わり朱夏の時期を迎えたのだと云ってやる。引替えて親父は白秋から玄冬に近づいてゆくのである。
『ところで、老境が玄冬なのか、白秋なのか、うろ覚えなのである。』
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