書き続けること、その意味

2020/05/10(日) 朝から雨 今日は母の日である。世間はCOVID-19騒ぎで須らく自粛モードであり、母の日も例年ほどは賑々しくない。新聞の特集も折込チラシも静かなものである。新聞そのものも常より三割型ページ数が少ない。

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凱風快晴

今朝はまさしく『凱風快晴』の朝である。


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風は薫るけれど

風は薫る五月五日であるが、新型感染症の蔓延で沈黙の春でもある。今週末八日は母の十回目の命日、そして十日は今年も巡り来る母の日である。 M.K氏がFBで出口治明著「哲学と宗教全史」を読了しての感想を『今回のコロナ禍が、人類の思想史にとっても大きな曲がり角となることを確信した。せっかくのステイホームの機会。漫然と過ごすのではなく、人類の来し方を振り返り、with AI、withコロナの時代をいかに生きるべきか、思索に充てたいもの。』と述べていた。

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沈黙の春 物憂い春

「陽春は物憂いもの」と第する記事を掲載したのは 2006年5月6日のことである。当時はこのように書き出していた。

晩春はなぜ物憂いのであろう。花咲き緑あふれ、そこかしこに命があふれているのに、なぜか物憂いのである。昨日も日がな一日、陋屋の庭と云うか藪と云おうか野良に出ていた。下草を刈り下枝を払い枯れ枝を集め、林の中を過ぎてゆく風が通りやすくしていたのである。

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柿若葉青楓

鄙桜の季節は過ぎたが八重桜がまだ咲いているし、若葉が美しい時季でもある。

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遺されたもの

親父の遺したシンビジウムとお袋の遺したイワヒバとセッコクは今年も元気だ。

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新型コロナ感染症異聞

新型コロナ感染症に関わる問題点が漸くにして見えてきた。異聞と題するが真相と云う方が近いのだろう。

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船頭さん

畑で鍬を振るっていたら、こんな童謡の歌詞が口に浮かんだ。

村の渡しの船頭さんは 今年八十のお爺さん
年を取つてもお舟を漕ぐときは
元気いっぱい艪がしなる
それ ぎっちら ぎっちら ぎっちらこ

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花の散るらむ

この春も花の散る時季となった。チューリップが赤白黄色と咲き誇るなかに雪柳は白い盛りを過ぎ、ナンキンハゼが紅い芽をふき出してあり、御衣黄が﨟たけた浅緑の花弁を開くのも遠からじの今、鄙桜は若緑の新芽を浅緑に移し白き花は薄紅色を増し紅色に近くなって風にゆすられるがごと散り始めている。

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十年という歳月

両親が逝ってから今年は十年である。庭の鄙桜もあれから十年という歳月を過ごした。今朝は快晴であるが少し肌寒い、花冷えの朝陽に桜が映えている。

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