相撲協会と鑑定協会

 他山の石などとよく言うが、相撲協会を見ていると、鑑定協会の何処に問題が潜んでいるのかがとてもよく判る。 例えば相撲協会では、「ちゃんこの味が染みていない奴に何が判る。」と言って外部役員の導入にとても消極的である。 また「相撲は国技だ。」と言い、伝統の墨守に汲々とし外部の意見を聞こうとはしない。
 鑑定協会(業界)にも同じような傾向が認められる。 不動産鑑定評価は不動産鑑定士のみに許された行為と勘違いしている業界人は少なくないし、地価公示至上主義を標榜しながら、それでいて、地価公示が固定資産評価に埋没しつつある現状にあまり疑問をもとうとしない業界人も、一部に珍しくない。《公示と固評と地価調査と相続税評価の全てに鑑定士が関与することにより、時に四竦み状況とも云える事態無しとしないのである。》

(注)不動産鑑定評価は「他人の求めに応じ報酬を得て、不動産の鑑定評価を業として」行う場合にのみ、独占業務行為なのである。
不動産の鑑定評価に関する法律
第二条  この法律において「不動産の鑑定評価」とは、不動産(土地若しくは建物又はこれらに関する所有権以外の権利をいう。以下同じ。)の経済価値を判定し、その結果を価額に表示することをいう。
2  この法律において「不動産鑑定業」とは、自ら行うと他人を使用して行うとを問わず、他人の求めに応じ報酬を得て、不動産の鑑定評価を業として行うことをいう。

 去る08/20 、(社)岐阜県不動産鑑定士協会主催の市民公開講座並びに鑑定士研修会が、麗澤大学経済学部准教授 清水千弘氏を講師に迎えて岐阜市内で開催された。
第Ⅰ部の市民公開講座は「変貌する都市と不動産市場 (不透明化する不動産市場を読み解く力)」と題して、第Ⅱ部は「不動産価格は誰が決めるのか? (信頼される鑑定評価とは)」と題するものであった。講義の概要は「こちら」に掲載してありますからご覧下さい。
 講義する清水氏
 
 さて、講義終了後の懇親会で話題となったのは、鑑定士及び鑑定協会の「Client Influence」についての認識と、講師並びに講師が伝える社会のそれとの認識格差であり、もう一つは取引事例をはじめとする情報についての鑑定士の認識と同じく講師並びに講師が伝える社会のそれとの認識格差についてであった。 端的に云えば、鑑定士にとっての不動産情報とは鑑定評価の基礎資料としての取引事例であるが、社会にとっては「取引価格情報開示制度:不動産インデックス」である。
 認識格差の詳細については、『鄙からの発信』に掲載する一連の記事より推量していただきたいが、戦略論並びに戦術論として云えば、鑑定士側に「市場における鑑定評価の位置付け並びに鑑定協会のCSR(Corporate Social Responsibility)認識」という類の戦略論が欠けていることが最大の弱点である。 戦略論はさておくとしても、鑑定士並びに鑑定協会自らが 「Client Influence」認識、あるいは不動産情報収集等取り扱いに関わる現状の不備を語ることは、ともすれば自己弁護に陥ったり、不平不満や愚痴を言い立てることに為りがちである。
 その全てを否定するものではないが、産(鑑定業界)官(霞ヶ関)学という観点から云えば、清水准教授のような立場にいる方に、正確に現状を理解していただき、代弁者とまでは云わないが、時に擁護者になっていただく、せめて中立的な立場から論点の整理をしていただくといったことが、とても重要なことと思われる。
 戦術論として、学界人に正確に現状を認識していただく、時に味方になっていただくための日常活動というものが欠けているということを、当夜集まった岐阜会並びに隣県の多くの役員が認識したであろうと思われることが、この夜の最大の成果ではなかったかと思うのである。 今後、この認識を踏まえ、どのような日常活動を積み重ねてゆけるかが問われていると云えよう。
 この件に関連して思い起こされるのが、「平成20年度不動産リスクマネジメント研究会報告の公表」である。《関連記事:不動産のリスクマネージメント:2010.04.14》 この研究会の21年度審議に関わる報告書も公表されているから、一度は目を通しておきたいものである。
 国交省始め霞ヶ関が不動産のリスクマネージメントに関心を寄せ、不動産価格インデックスに興味を示している最大の原因は、日本の不動産市場に外資を呼び込みたいが為であり、その為には国際基準に則ったリスクマネージメントやインデックス整備が急務であると認識している故と聞いたことがある。 工業製品生産市場の国際化に始まり、金融市場の国際化が図られ、今また不動産市場の国際化が急ピッチで進められているという訳である。
 このことの当否はおくとして、製造業が国際化し、金融業が国際化すれば、不動産市場もその埒外に安穏といる訳にはゆかないであろうということは自明の理である。 このような奔流を前にして、不動産鑑定評価がどうあらねばならないかと云うのも、いわば自明のことであろう。 損失補償基準や地価公示と二人三脚で制度が創設された不動産鑑定評価も既に半世紀が経過し、公共事業(用地取得)に昔日の勢いが無く、地価公示のあり方が《事業仕分け》という荒波に揉まれながら、その方向性を見失いかけているのではなかろうか。 
 地価公示が「不動産価格のインデックス」であるとするならば、それは国際基準に則したものでなければならないし、そうでなくとも社会のニーズに応えるものでなくてはならないと考えるのである。 そこでは鑑定業界の論理も、歴史も伝統も問い直されなくてはなるまいと考えるのであるが、如何なものだろうか。
 地価公示に関しては、年々、公示地点数の削減が続いているが、近々複数評価員評価から単独評価への移行、さらなる地点数の削減、評価員年齢の切り下げ(65歳停年)などが囁かれているが、そのような可能性は高いであろうと観ている。
 注目しておきたいのは、公示地点数及び地価調査地点数は減少しつつあるが、相続税標準地評価地点数は微増だが増えていることである。公示地点数の削減に対応してなどという説明が為されているが、公示と相評の位置関係が微妙に変化しつつあるようにも読める。
 つまり地価インデックスとしての地価公示及び地価調査の役割は限定的になりつつあるが、課税評価基準としての相評(並びに固評)の役割は相対的比重を増しつつあると云える。 同時に地価インデックスは「取引価格開示制度(鑑定協会の云う新スキーム)へ、その比重を移しつつあると見えるのである。
 このことはザイン(あるがまま:地価インデックス)とゾルレン(あるべき:課税評価など)という鑑定評価永遠のテーマを今一度考え直すべき好機なのかもしれないと思えるのである。 それは同時に社会から鑑定評価のゾルレンが問われているとも読めるのである。
 この秋以降、地価公示、悉皆調査(新スキーム)はどのように変化してゆくのであろうか、茫猿の危惧が杞憂であれば良いと思えるものの、衆議院予算委審議は、鑑定業界が今一度原点に立ち戻って自らの存在意義を問い直す、得がたい機会でもあろうとも思うのである。対症療法に陥ることなく、「Rea Review」制度の創設など抜本的対策を講じてほしいと茫猿は考える。内から目線(既往業務の維持)でなく、外部からの目線を意識するという対応でもなく、外部(社会)目線に立った自らに厳しい改善策を検討してほしいものである。 鑑定士はその生い立ちからして井蛙に陥り易いとしても、茹蛙になることだけは避けたいものである。
 鑑定評価といえども万古不易ではないであろう。栄枯盛衰、生々流転は世のならいでしょう。 しかし、その有り様すなわち、社会が期待するものは時代とともに変化してゆくのであり、高度成長と地価上昇の時代に社会が期待した役割はとうの昔に終わっているので、安定成長、地価下落、不動産市場の国際化の時代における鑑定評価のあり方、公的評価一元化への鑑定評価の関わり方などなど、この秋以降の課題は山積していると考えるのである。

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