年賀にかえて

2000年 明けまして おめでとうございます。
初こよみ 知らぬ月日は 美しく (吉屋信子・吟)
暦替え あした想いて 気浮くる (茫猿遠吠・吟)


1月1日も、2000年も、デジタル的な時間の区切りに過ぎず、人の思惑をよそに宇宙誕生の2百億年前から、アナログ的な刻は連綿と切れ目なく繋がり流れているわけであり、今日と昨日に何の変わりも認められず、陽はまた昇り沈むことではあります。2百億年の内の2千年など1千万分の1に過ぎず、微々たる時差なのではありますが、悠久の時の流れに竿を差そうとするのが愚かな人の常などと云えば身も蓋もない話になってしまいます。
切れ目無く続く時刻月日なればこそ、区切りをつけねば怠惰に流れ行く我々なのだと思います。2500年前の孔子が曰く「知命」の歳を随分前に過ぎても「知足」すら知らない己の不甲斐なさを思いますと、昨日に変わりようのない今日といえども、なにがしかのケジメでも付けたいものと考えます。
さて、不動産鑑定士なる業態の来し方行く末を思いますと、節目の時は既に過ぎたようにも感じます。 地価の上昇とその社会的対応或いは規制を前提に創設された制度なるが故に、慢性的な地価下落の時代にはその相応しい役割が見つけられないままに90年代を無為に過ごしたと申しては言い過ぎでしょうか。要素価格均等化定理を持ち出すまでもなく生産流通手段が国際的になり、情報化が格段の速度で進行してゆく2000年代に如何なるサービスを社会へ提供してゆくべきなのでしょうか。
社会に有益な効用を提供できない業態が衰退してゆくのは自明のことであり、無駄なあがきは百害在って一理無しと思います。このことは不動産鑑定業界の識者先達はつとに承知のことであり、次代の鑑定士の在り方を模索し続けているわけです。しかし未だ明確な指針を見出すには至っていないのが現状でしょう。
その間に、不良債権処理の特需やバラマキ公共事業関連の特需が90年代後半に発生し、またもや延命措置に頼る鑑定業界は数年を無為に過ごしました。しかし、これらの延命措置は間もなく終わります。不良債権処理が延々と続くわけもなく、赤字国債頼りの公共事業がこれ以上継続されれば国家破産に至るのも自明のことです。
とはいえ、不動産は人の生活と活動の欠かせない基盤であり、人が経済的社会的活動を行ってゆく限りにおいて、不動産の在り方を正しく合理的に処してゆかねばならないことも自明のことです。不動産の経済的価値が人の活動に深く関わらざるを得ないからこそ、その適正な在り処を求め示してゆく我々の存在意義も認められると云えないでしょうか。
勿論、業法の規制に安住することはもはや許されないでしょう。時には業界にとって不利益な方策・施策・方向も、それが社会的経済的合理性が認められるものであれば躊躇することなく提言し実行してゆく姿勢が求められるのだと思います。
茫猿は2000年こそは原点に立ち返る時だと考えます。不動産鑑定業は広義では情報産業に位置づけられると考えます。不動産に係わる情報提供産業であると自らを位置づけることにより、我々の行く道が見えてくると考えます。不動産の静態的情報(利用と所有の現状把握)を網羅し、動態的情報(取引と賃貸の状況把握)を網羅することから、社会への的確な情報発信が可能なのだと考えます。
幸いにも、その萌芽は見えつつあります。不動産インデックスを我々自身が作成してゆこうという動きのなかに、私は希望の萌芽を見つけます。まだまだ小さな動きですが、多くの同輩の理解を深め社会の支援を得てこの芽を大きく育ててゆくことが、明日の鑑定業界を左右すると考えています。2000年初頭に際して大言壮語しましたが、暗黒大陸とも称される不動産情報分野への取組こそ我々の活路を切り開く太い道だと信じているのです。

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