年賀に代えて

明けましておめでとうございます。
しばらくのご無沙汰でした。読者の皆様には佳いお歳をお迎えのことと拝察申し上げます。今年は一時よりは発行件数が控えめはなると思いますが、 2001年も『鄙からの発信』を宜しくお願いします。


茫猿も加齢と共に、年々事務処理能力が低下してゆくことは否めず、地価公示作業の進捗力も低下し、年末の急な鑑定依頼に即応するに際しても以前のように徹夜で処理するだけの体力や気力が失われつつあると嘆いております。年賀状も購入したままで机脇に積まれています。松の内には到底無理であり、寒中見舞いに間に合えばいいのですが。 そんなかんなで『鄙からの発信』もしばらく休載しておりました。
そんな茫猿でも、1994年2月21日以来過ごして参りました二十世紀に無事に別れを告げることができ、何やかやの些事はありましたものの新しい世紀を迎えることができました。
ともあれ言祝ぐべきことと存じます。
時間というものは、人が便宜的に設けたものであり、人々が時を如何様に刻もうとも、陽はまた東より昇りまた西に沈んでゆくものと考えます。
年々歳々人同じからず、年々歳々花相似たりと申しますが、人が変わり往くように、花も木も草もやはり変わって参ります。幹は高く太くなり、花は樹齢に応じ、時季に応じて勢いの異なる花を咲かせます。まさに、人も花も「時分の花」でございます。
正月が冥土への道の一里塚であることは、冷厳というか冷酷というかまぎれもない事実です。人は明日を知ることが叶わないからこそ、今日を愉しむことができるのであり、明日を知り得て尚、今日を楽しめる境地にこそ在りたいと、愚かにも身の程知らずの願いを想い浮かべます。

  今年、57歳の茫猿が、どのような「時分の花」を持つのか、
ソノ花ガ華タリエヨウカ。マコトの華タリエヨウカ
カク在リタイト 願イツツ カクアリヌナノカ
【時分の花】風姿花伝「此の花は真まことの花にはあらず、ただ―なり」(広辞苑より)

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