加藤の乱と自民党

 茫猿は不動産鑑定士である。茫猿の日々のタヅキ(方便・日々の暮ら
し、生活設計)は、当然に鑑定評価報酬によって支えられている。
茫猿への鑑定評価依頼の多くは、地価公示や固定資産税標準宅地評価を
含めて考えるまでもなく、自民党を支持する企業や概ね現体制側にいる
人達及び組織から発せられている。少なくとも民主党より左ではない。
 そのこともあるし、『鄙からの発信』自体が政治的なことを語るのが
目的ではないから、政局や政争・政治にはほとんどふれてこなかった。
 ある種の自己規制が働いているのも否定しない。
 しかし、今回の加藤の乱の顛末をみるにつけても、
当サイト 00.11.21号記事にチャカシタみたいに、
『今回の永田町猿山騒動は、火遊びに水かけた健四郎と、水かけられて
ポシャッタ、カトちゃん。スゴミ勝ったノナカさんとて先が見えない。』
などと云っていて善いのだろうかと思うのです。
 自民党は55年保守合同により当時の吉田自由党と鳩山民主党が合併
してできた政党である。この両者は当時の主張とその後の流れを見る限
り、色分けすればリベラルなのは吉田自由党であり、ナショナリズムの
色が濃いのが鳩山民主党であると記憶しています。
 リベラルの流れは直系的ではないにしても思想の系譜としては、石橋
湛山氏、池田勇人氏、前尾繁三郎氏、大平正芳氏と続いてきたと思いま
す。宮沢喜一氏や加藤紘一氏はその系譜に位置します。
 ナショナリズムの流れは、岸信介氏、佐藤栄作氏、福田赳夫氏、中曽
根大勲位氏と続いてきたのだろうと見ます。田中角栄氏が思想的にどち
らの系譜に位置したのかはよく理解できません。又最近の短命総理の多
くがどの辺りに位置するのかもよく理解できません。
 しかし、吉田茂氏にはじまり緒方竹虎氏や石橋湛山氏に嗣がれていっ
た自民党のリベラルな流れが、消えかかっていることだけは注意してお
く必要があると思うのです。
 小沢氏の「普通の国」という言葉の先にあるもの、銀座に自衛隊を展
開させた石原都知事の憲法改正論の先にあるものに着目しておくことが
大事なのだと思うのです。その点では民主党鳩山氏が憲法改正論を隠さ
ないことも忘れてはならないものでしょう。
 ことは、リベラリズムを優先させるか、ナショナリズムを優先させる
かであると考えます。この二つの言葉を直訳すると自由主義と民族主義
になってしまい、二つとも手垢にまみれた用語となり本来の意味がよく
判らなくなります。
 広辞苑によれば、ナショナリズム【nationalism】とは、
「民族国家の統一・独立・発展を推し進めることを強調する思想または
運動。民族主義・国家主義・国民主義・国粋主義などと訳され、種々ニ
ュアンスが異なる。」とあります。
 同じく、リベラリズム【liberalism】とは
「自由主義」とありますが、茫猿としては、
リベラルアーツ【liberal arts】という言葉のもつ雰囲気が
最もリベラルを現しているように思います。
「 ギリシア・ローマ時代からルネサンスにかけて一般教養を目的とし
た諸学科。すなわち文法・修辞学・論理学(弁証法)の3学および算術
・幾何学・天文学・音楽の4科の7学科。」
 つまり、リベラリズムはギリシャ・ローマの共和制時代に生きた市民
の生き方に現されるものであり、自由教養主義とでも訳するのが相応し
いように思います。
 そして、ナショナリズムの威勢の良さ格好良さに比較するとき、戦い
の歴史に乏しい日本のリベラリズムは逡巡しがちであり、ダサク見えて
しまうことが多いのです。
 肌合いは随分違いますが高坂正堯氏や西部邁氏或いは渡部昇一氏の
ナショナリズムが格好良く見え、
 久野収氏や内橋克人氏ののリベラリズムがクラクてマイナーに見えて
しまうのも、その背景を考えれば理解できるのではないでしょうか。
 雑駁な括り方であり異論は多かろうと思いますが、リベラル優先か、
ナショナル優先かという視点で分ければ頷いて頂けるのではないでしょ
うか。
 さて、『鄙からの発信』では、これ以上語るのは止めにします。
しかし、表面的な流れや威勢の良さや格好良さだけで判断して、
本質を見誤ることだけは避けたいと思うのです。
後は、賢明な諸兄姉の御心のままに読み解いて下さるようお願いします。
 また、お時間があれば下記のURLを覗いてみてください。
 茫猿は同サイトの主宰者である宮崎学氏の主張の全てに賛同するわけ
ではありませんが、負けるべく戦をいかにして戦うかという、彼の主張
には同感できるのです。
 歴史を顧みるまでもなく、勝てる戦いのみを選ぶ生き方や勝ち組に常
に乗る生き方からは、何も変えることはできないと思います。
 それは久野収氏の負けてから始まるという生き方にも通じるものがあ
ろうと考えます。
  http://www.toppa.org/200011/1127.html
いつもの蛇足です ———
 そういう思想の系譜に在りたいと願う茫猿ですから、今秋の固評騒動
においても鑑定業界ナショナリズムに立つことはできず、
リベラリストの目線で固評の在り方、固評委託契約の在り方を考えたい
と思うのです。

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