この貧しき日本

 日本政府債務即ち国債残高が660兆円を超えようとしています。
この国債残高は日本人一人あたり500万円になります。一家4人であれ
ば合計2000万円の借金ということです。公的な借金は国債だけではあり
ません。政府保証債(道路公団や本四架橋公団、旧国鉄債務など)があり
ますし、地方自治体債務さらには地方自治体関連団体債務もありますか
ら、トータルとしての公的借金残高は不明ですが、一人当たり1000万円
を超えるという試算もあります。
 このことを素人なりに考えてみたいと思います。
 それだけの、世界史上まれにみる借金大国でありながら、デフォルト
にも大不況にも、大インフレにも至っていないのはなぜでしょうか。
 幸せなことに、日本人の多くは郵便貯金を信用し、多少不安ながらも
銀行や生保を信用しているからです。
 そしてもっと幸せなことは、日本人の多くは今も勤勉であり、貯蓄す
ることを最大の善と考えていることにあります。
年間国家予算85兆円の7.8倍の660兆円の国の借金は、逆からみれば
660兆円もの国民が持っている貸付金であるというカラクリがここに存
在します。毎年予算額の4分の1は借金でも成り立つ国家財政の不思議さ
はここにあります。でもいつまで続く幸せでしょうか。
 幸せと云いましたが、誰にとっての幸せでしょうか。
多くの日本人にとっての「幸せ」でしょうか。一見そのように見えます。
多額のしかも低利の国債や地方債などが円滑に発行されてゆくことによ
り、90年のウルガイラウンド合意による10年間460兆円公共事業増発か
ら始まる公共土木建設事業大盤振る舞いが行われ、大は大手ゼネコンか
ら小は山間過疎地の零細土木業者に至るまで仕事が用意されました。
 その波及効果は土木建築業者だけにはとどまりません。当然従業員及
びその家族にも、或いはそれら従事者世帯の消費行動にも波及してゆき
ます。公共事業大増発の恩恵は広く及んでいるのです。
 戦前、不況になると、都会の住民は故郷の農山村に帰り景気が回復す
るのを待ちました。農山村がいわば安全弁的役割を果たしていたのだと
思います。
 今、帰る故郷を無くした都会の住民と過疎に苦しむ農山村住民は、こ
の失ってしまった10年間、(決して失われた10年間ではありません。意
識すると否とに関わらず、自ら失ってしまった10年間です。)のあいだ
を、本来為すべきことを行わずに、借金による公共事業増発というモル
ヒネに頼って過ごしてきました。
 そのような、借金漬けが可能であったのは、日本人が貯蓄好きであり、
その貯蓄が国債を引き受けてきたからです。多くの個人は直接に国債を
引き受けてはいませんが、貯蓄した金融機関が間接的に引き受けている
のです。また、この貯蓄の源泉は国際収支の大幅黒字に支えられている
といえるのでしょう。(この国際収支黒字も色々な問題を抱えています
が、今はそれはさておきます。)
 この間接的国債引き受け構造が実態を国民に見えなくすることにより、
これほどの国債増発を可能にした原因でもあるのでしょう。同時に間接
的にせよ国民が国債を引き受けることにより、国債発行を可能にしたの
であり、海外に引受先を求めていたら、今のような低利国債の発行はお
よそ不可能でしょう。それは、多額の国外債務を抱えている国々の状況
をみれば直ちに判ることです。
 国民が国の借金を引き受けているということは、損をする人を見えな
くしていますが、実は世代間借金であるという事実が存在します。
景気下支えのための財政支出は、今を生きている大人には有り難いこと
でも、将来の借金償還義務を負わされる次世代日本人にとっては大変な
不幸となります。
 しかも、将来の日本人に負わされる不幸はそれだけではありません。
多額の国債公債償還義務、同時にこれらの債務は金利の上昇が避けられ
ないでしょう。次いでは、大量に造り出した道路やダムや建築物など公
共資産の保守維持管理支出が重なってきます。適切な保守が行われなけ
ればそれらはスラム化してゆくだけです。小子化も大きな影響を与える
でしょう。
 近い時期に、国債の格付けが低下しても、直ちに混乱には至らないで
しょうが、外資系金融機関の国債引き受けは減少するでしょうし、グロー
バル化時代の国内金融機関も国債が有利な運用先でなくなれば、いかに
政府が懇願しても引き受け量を減額せざるを得なくなるでしょう。
 そこにもたらされるものは何でしょうか。ハイパーインフレ、消費税
の増税、年金や社会保障の切り下げ、多くの暗い局面が予想されます。
 今、逃げた人、逃げ切った人、逃げ切ろうとしている人という区分が
囁かれています。個人金融資産5億円以上の富裕な人は、既に外貨建て
に金融資産をシフトさせており逃げてしまった人でしょう。
 家のローンを完済し子育てを終わり、退職金を受取り年金生活に入っ
ている人は逃げ切った人々でしょう。
80%以上の確率で、その世界が見えている人は逃げ切ろうとしている人
々でしょう。(そう、50歳を過ぎたあなたのことです。)
 失ってしまった10年間は、実はこの逃げ延びようとした人々にとって
の10年間であったようです。もっと哀しいことは、そういった行動が可
能な人々は、実は社会のエスタブリッシュメントであるという事実です。
 逃げようとする人々に「エスタブリッシュメント」とい呼称は似つか
わしくありません。似非エスタブリッシュメントと呼んでおきましょう。
・エスタブリッシュメント【establishment】
既成勢力。国家・市民社会のさまざまな次元で意志決定や政策形成に影
響力を及ぼす既成の権力機構、権威的組織、体制、勢力、また既成秩序
など。
 表題に「この貧しき日本」としるしたのは、このことを指しています。
現状を分析する能力があり、理解力があり、本来的に指導力もあるはず
で、オピニオンリーダーでもあらねばならない人々の心根の貧しさを指
して「貧しき日本」と云ったのです。
 外務省汚職やKSD疑惑や「成人式にみる大人のテイタラク」などば
かりを云っているのではありません。いわゆるエスタブリッシュメント
の日和見主義、その日暮らし主義、事なかれ主義、そのくせ事大主義な
どなどの貧しい心情を指しています。
 そうです。「判っているけど現実は」と呟いて、消極的にせよ「問題
を先送りし」、今を享受しているあなたのことです。
中年世代を中心とする、年間3万人の自殺者の存在はとても悲しいこと
ですが、実はそれとても、寒く貧しい日本の反映なのです。

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