社会の視線-2

01年01月09日付け『鄙からの発信・社会の視線』に対して、ご意見を頂
きました。転載させて頂きます。
H.K氏のご意見・校正責任は茫猿
 バブル時代に鑑定士が収益価格を無視したために高い評価が行われた
といった世論が後をたちませんが、私はWEB上に反論を何度か書いてき
ました。
 鑑定士が高値誘導したのではなく、市場が「適正な収益」など眼中に
なかったのだと。論壇の記事に対しても、やはり同様の反論ができるの
ですが、同じことを何回も書くのは疲れる、というのも正直なところで
す。
 私も自分の業界を、ただ属しているからという理由で擁護しようとは
さらさら思わないタチなのですが、世間があまりにも鑑定をわかってい
ないという点については腹立たしさを覚えます。(やはり、鑑定士はも
っと世間にアピールしなければと思います)
 「適正な評価を」というけれど、じゃあ「適正」っていったい何?と、
反対に質問したい。
 バブル期に、「今の取引価格は収益価格の倍以上です。だから適正な
価格は、現在の半値以下です。」などと自信たっぷりに言い切っても、
日本人の習性からして、世間は笑いものにするだけでしょう。
 そもそも、バブル期に取引価格が収益価格を大きく上回っていたとい
う、もっともらしい言い分も、実は、あやしいものです。
収益価格というのは、将来の元本価格上昇期待をも加味して評価される
ものですから、バブル期のように、収益の裏づけのない元本価格上昇期
待が大勢を占めている状況で、しかも低金利では、当然収益価格は高く
なります。
 投機買いしていた人は、自分自身の算出した高い収益価格で買ってい
ただけです。そういった収益還元法に対する正しい理解もなしに、「適
正な価格」などとわめいても、チャンチャラおかしいだけでしょう。
M.K氏のご意見 校正責任は茫猿
 しかし問題は、現在の「売れる価格」のニーズ(バブル期の「買える
価格」のニーズも)に応えることなのではないように思います
(個人的には「買える価格」を求められるのは若干抵抗がありますけど
・・・)。
 現にそうしたニーズがある以上、何らかのサービスを提供する(鉛筆
を舐めるのではなくて)ことは十分に意義のあることと思います。
 しかしそれを「適正な価格」とするかどうかが問題なのではないでし
ょうか?(この適正な価格」の中身が曖昧なのが最も大きな問題だと思
いますが)
 明確に「売れる価格」「買える価格」として鑑定士が意見を言うのは
今後ドンドンやって行くべきことではないですか?
 問題は「バブル崩壊」までは「正常価格」が膨張を続け(幅が広がる
イメージ)、現在は「特定価格」が膨張している、このことだと思いま
す。
 依頼目的や条件等によって評価すべき内容(価格も)変わって然るべき
にもかかわらず、それを整理するルールも何もないが故に渾然一体と処
理してきてしまった。
 「正常」だの「特定」だののわかりづらい(したがって渾然一体とす
る余地の存在が許される)概念ではない、現実に即した新たな概念規定
が必要なのではないかと思います。
 そして鑑定士の仕事の内容を明確にすることをやるべきなのではない
か、と思っております。
いつもの蛇足です
いつも推奨しています、JMMでは、こんな特集を行っています。
 「村上 龍 編集長からの質問」
 内外で日本の財政赤字が話題になっています。約660兆円の政府債
務がもたらす、想像し得る限り最悪のシナリオをご教示いただければと
思います。
 背筋が寒くなるような回答も含めて、色々な回答があります。
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