カウンターパワーの存在

【茫猿遠吠・・カウンターパワーの存在・・01.07.07】
『鄙からの発信』に俗事は似合わないかもしれません。
しかし、不動産という俗事の根幹をなすものに携わる一人として、
避けて通れない俗事があると考えます。鑑定基準の改訂が日経新聞朝刊
トップに報道されても、鑑定協会のWeb Siteは音無しです。
 鑑定協会の何処かで少しは討議検討されているはずですが、何も聞こ
えてきません。 当事者でありながら、新聞報道から経緯をしらされる
悲しさに気付きましょう。
 鑑定協会も鑑定士もパラダイムの転換を図らねばならない。
同時に社会のパラダイム転換にも無関心であってはならないと思います。
啓蒙家的に思い上がるほどの必要はなくとも、市民としての自覚と責任
は果たさねばならないと考えます。
日経新聞の鑑定基準改訂に関わる記事は以下のURLです。
http://www3.nikkei.co.jp/kensaku/kekka.cfm?id=2001070601373
その意味から、七夕の宵くらいは、あえて目前の俗事にふれます。
 今の日本に欠けているのは、カウンターパワーの存在だと思います。
ファナテイックな小泉氏や慎太郎氏に雪崩をうって駆け込む人々の存在
も大変危険ですが、もっと危険なのは、「その危うさを重々承知しなが
ら」それを利用しようとする(既に十分利用している)輩達です。物陰
に隠れて、ほくそ笑んでいる輩達の存在に気付かねばなりません。
 若者達を煽って、駆り立てて、戦場に送った輩達、負けた後は口を拭っ
て、事実を糊塗して覆い隠して、今またファナテイックに若者達をいつ
か歩んだ道に送り込もうとする似非月光仮面のマスクを剥がさなければ
なりません。
 小泉一色、真紀子命みたいな、一辺倒の危険さを声高に吠える必要が
あると思います。
 小泉と巨泉、どちらを選ぶのか。佐高信氏と中坊公平氏のどちらを選
ぶのか。主義主張でなく、党利党派でなく、どちらの人生観を選択する
のか、どちらの生き方に共感するのか。唯一、そのことが問われている
のだと思います。
 田中康夫氏的生き方、巨泉氏生き様、佐高信氏的な頑なさ、宮崎学氏
の打たれ強さは、なかなかに理解できないかもしれません。
しかし、理解などする必要はないのです。彼等の存在自体の美学を認め
ればいいのです。 彼等の存在が良心なのだと気付けばいいのです。
その存在が、この国を豊に優しくするのだと思います。
 桝添氏や大仁田氏が、自民党以外の市民連合等から出馬するのなら、
応援したいと考えます。しかし、小泉人気に付和雷同するとしか見えな
い行動を容認する気にはとてもなりません。それくらいならば、桝添氏
の論敵の田島陽子氏を応援したいと考えています。
 巨泉氏は「男には、負けると解っていても戦わなければならない時が
ある」をもって立候補の言葉とされました。男と言わず「人」といった
らもっと良かったのに。彼は、有権者の半分は女性だということが、ま
だ良く理解できていない世代なのでしょう。
私は、その彼に久野収氏の言葉を贈りたいと思います。
 「少しでも理想に向かうことが我々の勝利であり、どんな敗北の中か
らも民主主義完成の契機がある。どんなに敗北を重ねても負けない自分
がここにいる。それが人間の勝利であり、それ以外の勝利を考えるよう
になると組織や運動はもちろん人間の堕落が始まる。」
この際は、あえてしつこくURLを掲載します。
一度は訪問されて、無関心は「無知からなる無視」より悪いのだと気付
いてください。そして、自分自身に潜む「自民党」的なものに気づき、
少しでも改めてゆきたいと考えています。
 茫猿が遠吠えする「自民党的なもの」とは、自己の利益を優先するた
めに、あえて曖昧さでもって包み隠し、世慣れた振りをして、理想は現
実には勝てないと韜晦することを指して言います。
茫猿自身とても、そういう世故に長けた現実主義の誘惑に勝てないこと
が日常的にあります。そいった誘惑に打ち勝っているなどとは申しませ
ん。ただ、少しでも無くしてゆきたいと思っているのです。
巨泉氏サイトのURLは以下です。
http://www.seiji.co.jp/kyosen/
宮崎氏の参院選「立候補」に当たって、のコメントは以下のURLです。
http://toppa.org/2001-7/010703-2.html

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