基準改訂 その1(鑑定士の在り様)

【茫猿遠吠・・基準改訂-1・・02.01.13】
 鄙からの発信・前号では唐突に憲法前文をお届けしましたから、読者諸兄
にはさぞ驚かれたことと存じます。何を今頃というのが大方のご感想でしょ
うか。でも茫猿には十分に意味ある行為であったのです。
 鑑定評価基準の改定作業が着々と進行しつつあり、時を同じくして競売不
動産評価基準に関わる話も進行しています。両者は一見して無関係なように
みえても、実は水面下ではつながっている話なのだろうと鄙から推測してい
ます。推測の根拠はあえて言揚げしなくとも、賢明な諸兄姉はご理解いただ
けることでしょう。
 また、これらの作業が公開され衆知を集めるようにみえて、実は「知らし
むべからず拠らしむべし」という背景があるように感じますのは鄙人のひが
目でしょうか。規制緩和に逆行する話でもありましょう。
 多くの鑑定士が地価公示作業に忙殺されるこの時期に合わせて、両者共に
締め切り日を設けて意見を求めているという、そのことだけを取り上げても、
可能な限り多くの、現場にいる鑑定士の意見を聞こうと云う姿勢は見えてき
ません。 愚痴はともかくとして、鑑定評価基準について考えるときに、言
葉の持つ意味とその重さを改めて問い直してみたいと考えて、憲法前文をお
届けしました。
 今回の基準改正は正常価格や特定価格定義の改訂或いは特殊価格新設等が
大きな話題となっていますが、これら価格概念を検討する前に、不動産鑑定
士が社会に存在する意味或いは意義は何であったか。それは時代の変遷と同
時に変化したのか、変化していないのか、変化してはいけないのか。改めて
吟味されなければならないと考えています。
 制度が社会の変遷に伴って変化してゆくことを否定しているのではありま
せん。しかし、人々の生活と活動に不動産の占める位置が大きいからこそ、
鑑定評価制度が存在するのであり、同時に不動産が市民社会に占める本来の
位置が軽々に変動するものとも考えません。そのような観点から不動産鑑定
士が社会に貢献できる位置とは如何なるものであるのか問い直してみたいと
考えるのです。
 同時に「不動産の占める位置が大きいからこそ、鑑定評価制度が存在する」
という考え方自体が鑑定士の思い上がりであるのかもしれない。鑑定士のみ
が値決めをできるなどという思い上がりを捨てることから始めねばならにだ
ろうし、鑑定士が社会に何を提供できるのかという問い直しが必要であろう。
※特殊価格については、実は新設ではなくて、当初基準に定義付けられてお
り、復活が正しい。 
 以下は某メーリングリストにおける投稿発言の用語であり、茫猿の造語で
はないのだが、興味ある見解だからN.S氏の造語を拝借して考えてみる。
氏は第三者鑑定と代理鑑定という用語で、鑑定評価の独立性検討を試みられ
ている。
『鑑定士の立場について』
 不動産鑑定士は不動産鑑定評価書に利害関係の有無及びその内容を記載す
るべく義務づけられているが、直接の利害関係さえなければ全ての評価書は
第三者として中立・公平に立場で評価を行うと言い切ってよいのであろうか。
 依頼の内容によっては、基準改定案骨子の「特定価格」が該当するモノと
考えますが、以下の特定価格評価に際しては公平中立性を捨ててもよいので
はなかろうか。
 ・投資家に示すための投資採算価値表す価格
 ・早期売却を前提とした価格
 ・会社更生法並びに民事再生法の下での事業継続を前提とする価格
 これらの特定価格について、中立性や公平性を求める必要があるのであろ
うか、論理的妥当性は求められるであろうし、「正常価格」との開差につい
て明解な論旨展開が求められるであろう。しかし、第三者としての判断であ
るという鎧をまとうことが、かえって問題を複雑にし鑑定士の独立性を灰色
のヴェールに包み込みことにならないかと懸念します。
 投資採算価値評価などというものは、立場によってリスクの取り方が変化
するのが当然であり、証券発行関係者から報酬を得て評価するという立場に
中立性維持を求めるのはあまりにも酷であると考えます。李下に冠、瓜田に
履というではありませんか。
 どうしても、特定価格に第三者性という鎧を着せたいのであれば、
例えば、鑑定協会に付属機関をおいて、発行者から評価報酬を預託させた
上で評価チームを編成して評価にあたるとうことは考えられないだろうか。
そんな機関を設けても評価依頼など無いだろうという声が聞こえてきそうで
すが、それこそが将に語るに落ちると云うことではないでしょうか。
『鑑定協会の有り様について』
 30年以上の歴史と5000名を超える組織人員を持ちながら、鑑定基準
の改定案を自身で作成できない鑑定協会とは一体どのようなモノなのでしょ
う。今回の改訂でDCF法が重視されたり投資採算価値評価ということにな
れば「賃料インデックス」は必要不可欠な資料となりますが、それに関して
積極的に取り組んでいるようには見えません。
 鑑定協会の抱える問題点は何度も記事にしてきましたから、再掲はしませ
んが、協会自身が独立性・自主性そして強固な自治意識を持たねば何も改善
されないだろうと考えます。
『地価公示価格について』
 よく「公示価格では売れない」という批判を耳にします。この種の批判は、
バブル時の「公示価格では買えない」という批判と同根であり、さほど驚く
ことではありません。しかし、現在の公示価格がそれらの批判を謙虚に受け
止めているか否かは常に吟味されなければならないと考えます。
 公示価格評価に携わる者の関連情報発信能力及び批判情報受信能力が問わ
れていると感じています。公示鑑定評価格と同時に標準価格の開示、さらに
は比準価格と収益価格の開示なども検討されねばならないでしょう。
・・・・・・いつもの蛇足です・・・・・・・・・
 企業が工場跡地を墓地に転換したために発生した住民紛争を回避するため
に、川崎市墓地条例が改正されたというニュースを興味深く聞きました。
山林を開発造成するのが通例である墓地について、工場跡地の有効利用策と
して採用した(墓地利用が有効利用であると認識する現実)企業者が存在する
という現実の変化を、鑑定士はどう受け止めたらいいのでしょうか。
 成長神話が崩壊した後の過剰飽和状況のすさまじい現実に、市場が鑑定を
超えてしまったのではと驚いています。
 周辺住民との間で紛争を生じるような立地条件にある工場跡地が、中高層
住宅利用もSC利用もされず、墓地利用が有効であるという現実に驚いている
鄙人です。この件は誰か在京の方がレポして頂けませんか。
 ところで鑑定評価って、何でカンテイヒョウカと云うとお考えでしょうか。
評価だけなら、不動産評価士でいいです。
更地だけなら、土地評価士でいいのです。
鑑定とはメキキなのです。そう目利きです。見極めとも云えます。
評価とはメキキを踏まえて、秤量比較することを云います。
「建物と敷地の価値」をメキキをして秤量比較して、貨幣額で表示する。
それが不動産鑑定評価なのだと茫猿は考えます。
そういう茫猿はどうなのだ?
茫猿とて、評価屋もどきではないのかと、いつも自問自答しています。
いつの日か、鑑定評価士になろう、一歩でも近づこうと精進していますと、
述べましたら格好を付けすぎでしょうか。

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